2021.9.29

強くひたむきに進み続ける。音大卒アナウンサーのこれまでとこれから

強くひたむきに進み続ける。音大卒アナウンサーのこれまでとこれから
佐竹明咲美

東京音楽大学 音楽学部 音楽学科 器楽専攻 ピアノ演奏家コース卒業

元テレビせとうちアナウンサー(2015~2019年)

現在フリーアナウンサーとして活躍している。

音大生が自身のキャリアを考えるために、音大生自身が音大卒業後のキャリアについてインタビュー。

今回のゲストは、東京音楽大学でピアノを学んでいた佐竹明咲美さん。
テレビせとうちを経て、現在はフリーアナウンサーとして活躍している佐竹さん。ピアノと就活の両立に奮闘した大学時代や、気になるアナウンサーのお仕事事情、これからのビジョンなど、たっぷりお話いただきました。

 

 

厳しい環境に身を置き経験した、挫折と感動

 

-佐竹さんがピアノを始められたきっかけを教えてください。

 

ピアノ講師の母の影響で、3歳からピアノを始めました。物心ついた時から、鍵盤の前に座っていたのがきっかけです。

 

小学校4年生の時に、県のコンクールで一番良い賞をいただくことができたんです。その時に、友達や、両親、祖父母の反応をみて、「こんなに周りの人達が喜んでくれるんだ。もしかしたら、自分の演奏で色んな人を笑顔にできるかもしれないな」と感じたのを覚えています。なので、音楽の道に進みたいなと漠然と思うようになったのは小学校4~5年生の時ですね。
それから高校は、高松第一高等学校の音楽科に進学して、その先は東京音楽大学に進学しようと受験を頑張った、という流れです。

 

-小学4、5年生の頃から音大まで、一直線で来たのですね。

 

そうですね。ずっと演奏家を目指してピアノを続けていたので、まさか自分が今こういう仕事をしているなんて、当時の私は思い描いていなかったと思います。
ただ、小学校の頃からアナウンサーという仕事に憧れはあって、一人で鏡の前で食リポの練習をしていたり、レポーターごっこをしたりしていたので、それが現在の職業に繋がっていったのかなと、今となっては感じます。

 

-東京音楽大学へ進学しようと決めた理由を教えてください。

 

東京音大を選んだ理由のひとつは、ピアノを師事したい石井克典先生が、東京音大で教えていたからです。
石井先生の演奏がとてつもなく好きで、「一滴でもいいからその音の要素が欲しい」と思っていました。そして石井先生の門下生のみなさんもすごく活躍されていて、尊敬する先輩がたくさんいらっしゃったので、その後輩になりたいという想いもありました。

 

もうひとつの理由が、大学内の設備が充実しているという所です。練習室の質もすごく高いですし、良いコンサートホールも学内にあって、そういう環境が良いなと思いました。

 

あとは、東京音大の「ピアノ演奏家コース」というのがすごく気に入りました。
私は、目標がないと自分に甘くなってしまう性格なんですよね。ピアノ演奏家コースは、毎年の実技試験で基準の点数に達しないと、ピアノ演奏家コースにいられなくなってしまうんです。毎年受験のような環境に身を置けるという、ちょっと厳しい環境というのも私は好きでした。

 

石井克典先生門下の先輩・後輩。今回カメラマンを担当した、rooootインターン生の半田乃愛さんとの1枚。

 

 

-学生時代に挫折をした経験はありますか?

 

挫折をしたのは、実は音大に入学してからなんです。
音大に入学するまでは、「東京音大のピアノ演奏家コースに合格するぞ」という目標があって、そこに向けて一直線に努力を続けることができていました。もちろん小さな挫折は何度か味わいましたが、あまり大きな挫折はありませんでした。

 

音大に入学すると、やはり全国レベルの方が集ってきていましたね。同級生でも演奏活動をしていたり、先輩は演奏で海外に行っている方がいたり、後輩には国際コンクールで活躍している子がいたり…。自分のレベルを痛感して、「このまま演奏家としてやっていけるんだろうか」という思いのまま4年間過ごしましたね。本当に挫折の日々でした。

 

-最初に周りとの差を実感されたのは、大学に入学された頃ですか?

 

そうですね。大学1年生の時にトッパンホールの学外コンサートに出させていただいたのですが、その時に周りのレベルの高さに圧倒されました。
私は、必死になってようやくギリギリでそのコンサートに出ることができたのですが、周りはそのコンサート常連の方々ばかりで、しかもそのコンサートに出ながらコンクールの準備もしたり、いろんな曲を並行してやられている方が多くいらっしゃいました。私はまだまだ実力不足だなと、周りとのレベルの差を痛感しましたね。

 

-音楽大学時代に印象に残っていることを教えてください。

 

大学3年生の頃に、ドイツのバイカースハイムというところで開催された音楽祭に参加することができたんです。
大学時代は挫折を繰り返しながらも、自分の中での目標を「海外でのコンサートに出演すること」という風に設定したんです。そうしたら、ありがたいことに大学3年生の時に海外で演奏する機会を頂くことができたんですよね。

 

やはり海外の方は反応がすごく大きくて、演奏のあと、日本では味わえないようなスタンディングオーベーションを頂くことができたんです。こんなに大きな反応を頂いたのは初めてだったので、「自分の演奏でこんな反響を頂けるんだ」と、うるっときてしまいました。自分の中で大きな区切りとなったコンサートです。

 

-その経験をされて、海外への留学などは考えましたか?

 

もちろん、演奏で食べていけたらいいなという思いも心の片隅にはあったのですが、もうその頃(ドイツの音楽祭の頃)には並行してアナウンススクールに通っていたので、留学の選択肢はありませんでした。

 

アナウンススクールには大学3年生の春から通い始めていました。
ただ、せっかく音大まで通わせてもらったので、アナウンサーを目指しながらも演奏の方も抜かりなく頑張って、自分の目標を達成して恩返ししなきゃな、という気持ちもありました。なので、アナウンサーになるための準備と、ピアノの練習とを並行していましたね。

 

 

 

一歩踏み出したきっかけは「迷ったらGO!」

 

-アナウンサーに興味を持ったきっかけは何だったのですか?

 

子どものころから憧れはあったのですが、アナウンサーに興味を持った決め手は、ドビュッシーなんです。
ドビュッシーの音楽って情景を表現していることが多いと思うのですが、「それを言葉で表現するとどうなるのだろう?」と興味を持ったのが大きなきっかけなんです。

 

-きっかけがドビュッシーとは、驚きました。

 

ドビュッシーの「月の光」などを家でぽろぽろっと弾いたときに、「情景は思い浮かぶけど、例えば言葉にして今こういう情景ですというのを実況しようとすると、どう伝えられるんだろう?」などと考えたことがあって。こういったことを突き詰めたら楽しいかも、と思ったんですよね。
これが大きなきっかけで、言葉の表現の奥深さを知ることができたかなと思います。

 

-そこから、アナウンサーを目指そうと決めた背景を教えてください。

 

小学校の頃、担任の先生が「迷ったらGO!」とよく言っていたんですよ。

当時はどんな意味なんだろうと思っていたのですが、大人になってから「迷った時って頭でっかちになるな」ということに気づいたんですね。例えば、この行動をしたらあっちに迷惑がかかって、人にもったいないなんて思われて、これまでやってきたことが無駄になるし、など色々と考えてしまうと思うんです。

 

「迷ったらGO!」という言葉を思い出してからは、アナウンススクールにも思いきって行ってみて、もし向いていなくても「いいことが学べたな」という風に整理がつくかなと思ったんですね。
もちろん社会人として常識に反するところを「迷ったらGO!」ではだめですけれど(笑)挑戦は誰でもしていいと思うんですね。

 

実はその先生とは同窓会で再会して、「先生の言っていたこと、大人になって気づきました」と報告できました。

 

-それは先生も嬉しかったでしょうね。「迷ったらGO!」って素敵な言葉です。

 

 

 

ピアノとアナウンサー就活、両立するためには

 

-では、大学時代に通われていたアナウンススクールについて詳しく教えてください。

 

アナウンサーの就活と一般企業の就活は大きく違っていて、まず基礎的な技術の習得をしなければならない、ということが大きくあります。

 

特に地方局になると、ある程度基礎的な知識や技術が備わった即戦力を求められることが多いんですね。
なので、アナウンススクールではそういった技術を身に着けます。たとえば、発声練習や滑舌練習、原稿読みを練習したり、あとは「絵解き」という、1枚のパネルを見せられてそれについて話したり、といったようなトレーニングがあります。

 

あとは、面接が進んでいくとカメラテストというのがあって、カメラの前で、あたふたせずに堂々とちゃんと原稿が伝えられるか、というのが見られたりもします。一般の就活とは違う部分が多いので、アナウンススクールに通って準備する方が多いですね。

 

-大学3年生の春からアナウンススクールに通い始められたということですが、頻度や時間はどのぐらいだったのですか?

 

アナウンススクールによって選べるのですが、私は週に1回通っていました。あとは自主練などがしたいときはいつでも行っていいよ、というような感じでしたね。自分に合ったスクールを選ぶといいと思います。

 

-「自分に合ったアナウンススクール」というのがあるんですね。

 

考え方は人それぞれだと思うのですが、私は、音大に入ったからには実技がおろそかになるのは良くないと思っていました。やはりお安い授業料ではないですし、実技がおろそかにならないように、一日一日を大切に過ごさなければ本当にもったいないので。

 

ただ、アナウンサーを目指そうと思った時に、アナウンススクールに通わないというのは少し遠回りなのかなと思うので、私の場合は週1ぐらいがベストかなと思いましたね。

やはり就活で一緒の土俵に立つ子は、毎日スクールに通っている子もいるぐらいなんですよね。なので「そういう子たちと肩を並べて就活するんだ」という覚悟をもって取り組んでいました。

 

-大きな覚悟が必要だったのですね。

 

そうですね。そうやって覚悟を決めて就活に取り組まないと、心のバランスもとれなくなってくると思うんです。
私もその経験があるのですが、就活が厳しくなってきた頃に「やっぱり就活をやめてピアノの道に行こうかな」と思った時にはもう手遅れだったりするんですよ。周りはどんどん音楽の道に進むために準備をしていたりするので。別の業界へ進むためには「腹をくくる」ということが大事かなと思います。

 

音大にいると、どうしてもコミュニティが音大の中だけになっちゃうんですよね。
なので、なるべく外に出て、どういう人たちが同じ土俵で同じ夢を目指しているのかっていうのを、しっかり認識しておくことは大切だなと思いました。井の中の蛙ではないですが、音大の中ではアナウンサー試験の対策を頑張っていても、外に出るともっともっと頑張っている人がいるんですよね。

 

-すごく勉強になります。就活とピアノの両立はどのようにされていたのですか?

 

試験前などは栄養ドリンクが欠かせないくらい大変な時もありました。
私が住んでいたマンションが23時まで演奏可能だったので、それまで練習して、23時からエントリーシートを書き始めていましたね。でも朝の1限目の授業にはなんとか出席したり、実技試験の試演会で弾いたり、結構大変な時期を過ごしたなと思います。
ただアナウンサーになりたい気持ちが強かったので、今思っても全然苦ではなかったですね。

 

-時間の管理をしっかりできておられるのがすごいです。

 

もちろん出来ない日も多々ありましたよ(笑)「悔しいな、今日出来なかったな」と思いながらも布団に入ってしまう日もあったのですが、あまり自分に厳しすぎても続かないと思うので、時々休息の日も作りながら取り組んでいました。

 

でも、音大にいながら別の業界、特にアナウンサーなどの専門的な業界を目指すとなると、二足の草鞋で行かないと本当に厳しいなと思います。時間をしっかり区切って短時間で集中できるような環境を自分で作っていかないと、と思っていましたね。

 

 

 

過酷なアナウンサー就活を経験してみえてきたもの

 

-アナウンサー就活では、具体的にどのような対策をされたのか教えてください。

 

私が苦労したのは自己分析でした。音大生あるあるだと思うのですが、今まで音楽しかやってきていなかったので、自分がアピールできることが「音楽」しかなかったんですね。

ただ、ピアノがたくさん弾けるからといって、アナウンサーとして素質があるかの判断はできないですよね。なので、自分が生きてきた22年間を振り返って、自分はどういう性格なんだろう、自分の強みはなんだろう、というところを探していく作業にすごく苦労したな、と今思い返しますね。

 

-アナウンサーを目指すときに、音楽での経験が活かされたことはありますか?

 

私としては実感はなかったのですが、アナウンサーの先生や先輩に言われて気付いたのは、音大で培ってきた音感やリズム感が、原稿読みにどうやら活かされていること。普通よりも早いペースで習得が出来ていたようです。
先生が読んだものをそのまま再現したりというのはあまり苦手ではなかったですね。それは、普段から音大やピアノの先生方に耳を鍛えて頂いていたからかな、と思います。

 

-大学の先生とは、アナウンサーを目指すことについてどんなお話をされていましたか?

 

最初は、音楽でお仕事をしていかないことに対して寂しく思ってくださったり、「もう少し音楽頑張ってみない?」というふうにお話をしてくださって、私もそこで思いとどまることもあったりしました。

でも話し合いを続けていく中で、先生も「音楽を通して培ってきたものや、東京音楽大学で経験してきたことは別の業種に就いても活かされることだと思うので、自信をもって就活しておいで」といって背中を押してくれて、その言葉を胸に頑張りました。

 

音大生って他の大学にはない実技というのがあって、そこでやっぱり本番の強さや、準備の大切さを学ぶことが出来るので、それはどの職業についても活かせるのではないかなと思っています。

アナウンサーという仕事でも、1つの特集原稿を書くために何日も取材したり、ニュースを読むために原稿をアナリーゼ(分析)したり、発声や滑舌、抑揚などいくつもの練習を積み重ねたりします。私は基礎練習や準備の大切さは音楽大学で学んでいたので、何も抵抗なく準備に時間がかけられたのかなと思います。

 

あと、音大生は根性があると思うので、それも活かされると思いますね。どれだけ失敗しても先生に叱られてもへこたれない強いハートを持っていると思うので、そこはどんどんアピールしていいところなのかなと思います。

 

 

 

-佐竹さんは、アナウンサーとしてまずはテレビせとうちに就職されたんですよね。テレビせとうちを選ばれた決め手はありますか?

 

テレビせとうちは私の地元の局だったということと、一番最初に内定をくださったからです。地元の局で働きたいという想いが強かったので、即決でした。

 

-他の局も受けたのでしょうか。

 

他の局も受けていました。アナウンサー就活あるあるなのですが、全国津々浦々行きましたね。そしていろんな都道府県の名産を食べたり、観光名所をめぐったりしました。
実際にその土地に行って、面接が始まる前に観光地や名産品を味わっておいて、面接の会話に活かすというのも面接のコツなので、その辺りも心掛けていましたね。

 

北海道に行ったら地元のひとのおすすめの味噌ラーメンを食べてみたり、観光地に行ってみたり、北陸では地元の方が営む割烹で郷土料理を食べたりもしました。今は面接をリモートで行う局も増えているみたいなので、一概には言えないのですけれど、その地域のことについての話題があるといいですよね。

 

-そのように全国に足を運んでアナウンサー就活をされて、印象に残っていることはありますか?

 

アナウンサー就活って、旅費などのお金も学生にしてはかかるし、結構大変なんですよね。でも、これだけ大変な思いをしてでもやりたい事なんだな、ということを改めて確認できたかなと思います。
アナウンサー就活は、私にとって青春だったなと思います。色々なものを犠牲にしてもアナウンサーになりたいという熱い気持ちを持ちながら、猪突猛進に進めたので、すごく良い経験でしたね。

 

 

 

地方局ならではの、地域や人に寄り添ったお仕事

 

-テレビせとうちでのお仕事は、具体的にどのような業務があったのでしょうか?

 

アナウンサーといえば原稿を読むイメージだと思うのですが、それだけではなくて、マルチにやらなければいけないんですね。
私のいた地方局の話ですが、ニュース、情報、バラエティ、司会などいろんなジャンルの業務がありました。例えばニュースだと、取材に行って原稿を書いてそれを読む、というのが基本です。

 

さらに派生していくと、例えば三脚担いでカメラを持って、取材現場に入ってカメラを回しながら取材をする。そして帰ってきて原稿を書いたら、その映像を編集して、ニュースで流して自分で読む。ここまでやるので、本当にニュースに興味がないときついと感じました。
取材のアポを取ったり、新聞やSNS、街中をチェックして面白そうな話題をみつける「ネタ探し」をしたりなども大切な業務です。

 

-せとうちテレビでのお仕事で、特に印象に残っていることを教えてください。

 

一番印象に残っているのが、災害報道です。

岡山県は、2018年7月の西日本豪雨で大きな被害を受けていて、その報道を行いました。私はその当日、午前3時頃に出社して現地取材を進めていました。地域の情報を伝えるという部分では、被害の状況はもちろん、今後の防災に役立つことをどんどん発信していく役割もあるんだなということを、そこで学びましたね。

 

また、被災直後だけではなく、被災者の方の「その後」を取材させて頂いた時には、報道のあり方というのを考えさせられました。

 

私は、被災から1年後の節目に、当時妊娠中に被災された女性の方に密着をさせて頂いたんです。
最初は、少しずつ復興している被災地を取材したいなと思って色々探していたのですが、取材していく中で、「心のケア」というのがまだまだこれからだということに気づかされました。被災者のみなさんの心の傷が、被災直後より1年経った頃の方がどんどん深くなっていると感じたのです。

 

「被災者の心に寄り添った取材とは何なんだろう」と、とても深く考え続けた日々でした。その毎日は何にも変えがたい経験になりましたね。

 

今でもその密着させて頂いた方とは連絡を取っていて、先日「新しい家がようやくできました。これからがスタートです。」というメッセージを頂いて、本当にうれしかったです。取材した方との心の距離もどんどん近くなって、感慨深く感じましたね。

 

-やはり災害報道は、難しさもあったのでしょうか?

 

そうですね。難しさも感じました。
ただでさえ被災直後というのはかなり精神的なストレスをもっていらっしゃるのに、避難所に行って「どんなお気持ちですか」とカメラの前でお話ししていただくということが、最初は心苦しくて。このようなことをやっていいのかな?と思ったんですね。

 

ただ、中には誰かに話したいという方もいらっしゃったんです。インタビューが終わってカメラが止まった後も、その時の様子をぶわーっと話して下さった方もいらっしゃいました。こういう風にいろんな人に知ってもらいたいと言葉にしてくれる方もいるんだ、私がしているのはそれを知りたいと思っているテレビの前の人に、正確に伝える重要な仕事なんだな、ということを改めて実感しましたね。

 

 

-地方局の魅力は、そういった地域により密着できるところにあるのでしょうか?

 

そうだと思います。
キー局と地方局、それぞれに役割があるんですよね。

 

キー局というのは、全国のみなさんに向けてのニュース、さらに国を超えて世界のニュースにも視野を向けなければいけません。なので、とても多くの情報の中から選りすぐってお伝えするのがキー局の役割だと思うのですが、やはりそこで伝えきれない地域のニュースというのを、地方局がどんどん補っていく部分なのかなと思います。

 

まだ全国的には注目されていない企業だったり、スポーツ選手や、芸術家などを地方局ではピックアップして、「こんな取り組みをしている人がいるんですよ」「こんなに頑張っている企業があるんですよ」というのを紹介できるのは、地方局の魅力かなと思います。

 

-他に、テレビせとうちでの仕事で印象に残っていることはありますか?

 

バラエティ番組を、入社してから3年半ほど担当していました。
芸人さんと街ブラロケをして、面白おかしくしながら、その地域の魅力を伝えるという番組だったのですが、この番組を通して岡山香川のほとんどの市町村をまわれたんです。そして、地元の方々とふれあいができたり、地域によって文化も全然違うんだな、ということに気づけたりしましたね。

 

また、「番組見て実際にそこに行ってみました」というお手紙を頂いたりもして、少しだけでも地元の魅力発信に貢献できたのかなと思いました。いい経験になったなと思います。

 

-素敵ですね!

 

ロケがすごく楽しかったです。

 

 

失敗からも学んで、プラスに変える

 

-お仕事をする中で、失敗した経験などはありますか?

 

サッカー選手にインタビューしたときの失敗があります。
私はコーナーを任された当初、サッカーのことは何も知らなくて、「人数は9人?11人?」というところから始まって、担当するまでにルールブックを読んだり試合を見て勉強したりして、理解しているつもりではいたのですが…。

 

担当して間もないころ、ファジアーノ岡山の選手にインタビューした時に、「特に注目している対戦相手はいますか?」と聞いてしまったんですね。すると相手の選手から、「対戦相手なので、言葉として“注目”は少し違うと思います」とご指摘いただいたんです。

 

対戦相手の話なので、例えば、「脅威に感じている選手」や「意識したい選手」といった言い方をしなければダメなのに、何も知らずに、「注目する対戦相手はいますか?」と聞いてしまったんですね。
選手の方からご指摘を頂いて、はっとしました。もっとインタビュアーの発言を勉強しておけばよかった、と思ったので、その後はスポーツ番組を見たときも、インタビュアーの言葉をメモしたりして勉強しましたね。

 

-やってはいけない質問、なんていうのがあるんですね。

 

選手にとってデリカシーのない質問だったんですよね。「対戦相手で、中でも注意したい選手は誰ですか?」という質問がベストだと思います。

ちなみに、そのとき注意をしてくださった選手とはその後打ち解けて、好きなゲームなどプライベート情報を交えた楽しいインタビューをさせていただきました。
その後サッカーのコーナーは4年間担当し、今では趣味はサッカー観戦です。

 

-先ほどのエピソードもそうですが、佐竹さんは人との距離の取り方がとてもお上手で、すぐに距離を縮めることができるのがすごいと思いました。なにかコツはあるのでしょうか?

 

距離を縮めたい時に意識しているのが、自分のダメな部分をちょっと見せる、というのがありますね。

 

私が「完璧な部分しか見せちゃだめだ」という心構えでしゃべると、相手はちょっと距離を置いてしまうかもしれないですよね。なので、例えば何か話をした後に、「まあ私もできない時もあるんですけどね」など素直な気持ちをちょっと一言付けることによって、相手が少し安心感を持ってくれるのかな、と思っていて。ちょっとだけ意識はしています。

実際完璧な人間ではないので!(笑)あと、人と話すことが本当に好きなんです。

 

-ダメな部分をみせる、というのは大切かもしれませんね。確かに親近感がわいてきます!

 

この記事を読んでから私としゃべる人は、「あ、これは策略だ」と思ってしまいますね(笑)
もう癖のようなものなので、策略だとは思わないでもらえると助かります(笑)

 

-わかりました(笑)

 

 

 

アナウンサーの私だからできる、音楽への恩返し

 

-現在はテレビせとうちを退社されて、フリーアナウンサーとして活動されているんですよね。フリーになるという決断をされた背景は何だったのでしょうか。

 

テレビせとうちでは、いろんなジャンルのお仕事を経験させていただきました。やりきったな、という気持ちもあり、決断に踏み切れたかなと思います。

ニュース、バラエティ、情報番組のリポーター、選挙の報道など、幅広く携わらせていただきました。また、先ほどお話したサッカーのお仕事をきっかけに、今ではサッカー観戦に行くくらいサッカーを好きになれたりもしました。入社からちょうど5年目という節目の年でもあったので、ここで東京に出てくるのもいいかな、と決断できたのだと思います。

 

-地方局アナウンサーとフリーアナウンサーの違いはありますか?

 

地方局アナウンサーは会社員なので、仕事がバンバン降ってきます。アナウンサー以外の仕事や、事務的な仕事もありました。
フリーになると、「自分で追い求めていかないと仕事が無い」という厳しさは今痛感している所ですね。フリーはオーディションを突破しないと番組が得られません。そういった厳しい世界ですね。でも、ひとつひとつの仕事と深く向きあうことができていて、今はとても充実感があり幸せです。

 

お仕事内容としては、アナウンサーとしてしゃべる仕事がほとんどになるので、自分がやりたいしゃべる仕事をもっと突き詰められるのかな、と思いますね。
あとは、自分のやりたいことに挑戦しやすいというのはフリーの良さかなと思います。

 

-フリーになってからのお仕事で、印象に残っていることを教えてください。

 

演奏家やピアノ講師の方向けの話し方講座をさせていただいたのが、印象に残っています。
今までお世話になった音楽業界への恩返しというか、何か還元できることがないかなと考えて、色んな方にお話をきいて、こういったことに需要があるんだなということに気づかせてもらったんです。

 

というのも、音大に行くと、特にピアノだとひとりで黙々と練習したりとか、コミュニケーションを取ったり、人前でしゃべる機会というのが少ないと思うんですね。伝えたいことはいっぱいあるのにうまく伝わらない、というお声もありました。
なので、そういった方たちに、伝わりやすい声の出し方や発声法、言葉選びの方法などをお伝えすることで、私が今まで経験してきたことを音楽業界へ還元できたらいいなと思っています。

 

-今、音楽とのつながりを感じる時はありますか?

 

一回音楽から離れてみて、言葉で音楽を伝えるのって難しいなということを改めて感じました。
コンサート司会のお仕事の時に、特に実感しますね。曲の背景や、どういう部分を楽しんでもらいたいかを言葉で伝えようとすると、結構ニュアンス的な部分もあるので、これこそ語彙力がすごく必要だなと感じています。大好きな音楽と繋がれる、とてもやりがいのあるお仕事です。

 

-そういった時は、どのような対応をされているんですか?

 

この曲にはどういう表現が合うんだろう、というのを、自分の頭の中にある引き出しをぶわーっと開けて、色んな言葉を当ててみながら模索します。この曲にはこの言葉が合うかな、このキーワードは言いたいな、みたいな言葉選びがすごく楽しいですね。

 

-アナウンサーとして、普段から意識的に大切にされていることはありますか。

 

なるべく正しい日本語を普段から使うようにしています。

 

たとえば今よく議論されているのが「ら抜き言葉」です。正しくは、「見れる」じゃなく「見られる」、「食べれる」じゃなくて「食べられる」なんですよね。普段使う分には問題ないのではないかなと考えているのですが、私は職業柄正しい日本語は使いたいと思っていて。
基本的なことですが、そこを意識して「これ食べられるのですね」など、言葉遣いは日常的に気を付けるようにしています。

 

ただ、日本語は乱れて当たり前らしいです。「枕草子」の平安時代から比べたら、今の話し方なんて考えられないですよね。そういった言葉の変化にも興味を持っていたくて、ついていけなくなった若者言葉も、意味を調べたりしています。

 

あとは、「分からない単語を放置しない」というのは意識しています。
入社した頃は「この言葉合ってるのかな?」と思う回数が少なかったのですが、1つ2つ意識し始めると、「これも違うのかな?」と調べてやっぱり意味が違った、ということがたくさんありました。これは日常的に気を付けるようにしていますね。

 

 

今後の展望と後輩たちに向けてのメッセージ

 

-佐竹さんの今後の目標を教えてください。

 

「言葉で音楽と聴衆を繋げるようなお仕事」をたくさんしていきたいです。今はコロナの時代に入ってしまい演奏会をするのが難しくなっていると思うのですが、そんな時期だからこそ、エンターテインメントの必要性を感じています。司会などでサポートしていければと思っています。

 

また、先ほどお話した、演奏家の皆さんがよりコンサートをしやすくなるような「言葉のサポート」というのも今後はしていきたいですね。
それに加えて、アナウンサーとしてメディアの仕事も経験を積みたいので、テレビやラジオなどの仕事も取り組んでいきたいと思っています。

 

 

-最後に、音大生に向けてのメッセージをお願いします。

 

音大生は心がすごく強いと思っています。どんなことがあってもへこたれないメンタルをもっていると思いますし、何より想像力がすごく豊かな方が多いと思うんですね。

 

アナウンサーにとっても、想像力ってすごく大切だったんです。
たとえばお天気を伝えるときも、私がいるところはビル街だったとしても、放送が届いているところは山奥だったり海沿いだったりするわけですね。

「山沿いだったら畑がいっぱいあるな、明日は朝霜が降りるから、農家の人は霜の対策をしないといけないな」というところまで想像力を膨らませて、そこの原稿は必ず読んだりだとか。海沿いの人や漁師さんもいるかもしれない。だから満潮と干潮の時刻や、波の高さがもし高ければ伝えなきゃいけないな、という風に、想像力を膨らませて伝えるということが本当に大切だったのですよね。

 

想像力の大切さは、他の仕事にも通じるところが多いと思います。
今この世の中ではどういうものが必要とされているのだろう、と想像して、じゃあこういうものを提案してみよう、とか。今このお店はこういうことで困っているだろうな、だからこういう手助けがしたい、とか。
想像力を膨らませていくことはどんな仕事でも大切だと思いますし、そういうことに音大生は長けていると思います。今ある想像力をどんどん膨らませて、就職活動だったり留学だったり、自分が取り組んでいることを頑張っていただきたいなと思います。

 

そして、「準備の大切さ」というのもどこに行っても大切だと思うので、今一生懸命自宅で練習したり、レッスンや本番でメンタルが鍛えられたりしていることは、決して無駄にならないと思います。
また、「一般就職するからもう練習しなくていい」じゃなくて、ずっと継続して音楽と向き合っていってほしいなと思います。現に今、私はピアノ講師としても働いていて、とてもやりがいがありますし充実しているんです。

 

最後に1点、別の業種に行っても時々ピアノを弾いたり楽器を吹いたりすると、音大の時に感じたことのない癒しを感じますので、決して演奏することをやめないでいてほしいなと思います。
音大生時代は練習が大変でつらいことも多いと思うのですが、離れると改めて「音楽っていいな」と思うようになるので、ぜひ続けて下さいね。

 

-とても素敵なコメントをありがとうございました。

 

 

 

 

 

外山杏樹
千葉県出身。 東京音楽大学音楽学部音楽学科器楽専攻ピアノコース4年在学中。4歳からピアノを始める。 趣味は、ミュージカル、ドラマ鑑賞。
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