2024.4.7

「良い音楽」を生み続ける作曲家のキャリアの軌跡

「良い音楽」を生み続ける作曲家のキャリアの軌跡
佐藤 直紀 Sato Naoki

千葉県出身 

東京音楽大学作曲科映画・放送音楽コース(現ミュージック・メディアコース(MMC))卒業 

東京音楽大学作曲「ミュージック・メディアコース」特任教授 

CM、映画、ドラマ音楽等様々な音楽分野で幅広く活躍する。

「ALWAYS三丁目の夕日」で日本アカデミー賞最優秀音 楽賞受賞 

主な作品は「龍馬伝」「コード・ブルー」「るろうに剣心」 「青天を衝け」

音大生が自身のキャリアを考えるために、卒業後のキャリアについて音大生ならではの視点でインタビュー。
今回のゲストは、CM、映画、ドラマ等様々な分野で楽曲提供を手がける著名な作曲家であり、東京音楽大学の教授を務める佐藤直紀さん。


作曲を始めた22歳から仕事を軌道に乗せるまでの下積み時代の歩み、第一線で活躍し続ける中での曲づくりへの思いをお聞きしました

目指すべきキャリアが分からない。正解のない問いに向き合うときの悩みは音楽も同じです。目の前の曲を一頁ずつ完成させていくように、手探りでも少しずつキャリアを広けることができるはずです。

 

 

作曲との出会い

 

 

-小さい頃から作曲家になりたいと思っていたのですか?

 

-いえ、中学1、2年生頃からだったと思います。クラブ活動やブラスバンドで音楽はやっていましたけど…

 

-なぜ作曲という道を選んだのですか?

 

-ピアノを中学1年生の頃から習い始めたのですが、譜面通り弾くのがつまらなくて。当時習っていたピアノの先生が、難しければ自分なりにアレンジしていいよとか、1オクターブ加えていいよとか言ってくださって、そのようにしてアレンジしてるうちに、曲をなんとなく書き始めたのがきっかけですかね。

 

-音大に入ろうと思った理由は何ですか?

 

-当時は作曲家になるための近道だと思っていました。今だったら色々な方法があるし、情報も知ることができるんですけどね。

 

 

 

 

 

 

下積み時代の苦労

 

 

-大学卒業後にどのようにしてお仕事の依頼を受けるようになったのでしょうか?

 

-卒業してすぐはCM音楽をよくやっていました。

 

-依頼が来るのですか?

 

-来ないです。自分の作品集をカセットテープに入れて送らせてほしいということをCM音楽制作会社等にお電話して、しばらくしてから聞いていただけたかどうかまた電話をかける、という売り込みを片っ端からしていました。

 

-在学中から売り込みしていたのですか?

 

-僕は卒業してからですね。卒業作品を持って売り込んでました。早い人は在学中からしていたのでしょうけども。それをやりつつ僕の先生だった三枝成彰先生のアシスタントも平行してやっていました。卒業してからの職業はその2つですね。

 

-ご自身で売り込みにいくのは勇気のいることだと思うのですが、振り返ってみて一番大変なことはどんなことでしたか?

 

-学生だったので当然自分の名前を知ってる人はいなくて、今のようにSNSがないので発信することもできないので、まず名前を覚えてもらうことが大変なことでしたね。

 

-大体どのくらいの数のところに売り込みに?

 

-何十とかです。東京にある音楽制作会社やプロダクションは片っ端から売り込みました。初めての人間にお金払って曲を書いてもらうということは、なかなか仕事を振る側も度胸がいることで、難しいですよね。たまに仕事が来ることはありましたけど軌道に乗るまではすごく大変でしたね。

 

-軌道に乗るまでどのくらいかかりましたか?

 

-CMの仕事が回り出したのは、ある一カ所のCM音楽の制作会社が専属契約してくれたときです。そこで2、3年間専属で作曲家をやりました。仕事をこなせば実績を得られるのでその後フリーになっても、仕事が回るようになります。専属契約してくれたところは、そのとき一番大手の会社だったんですね。大きな会社の方が小さな会社よりもチャレンジ精神があったり失敗を許してくれる、育ててくれるんです。僕が売り込みにいったのは大きな会社でハードルが高かったので、最後の最後まで売り込めなかったんですけど、引き受けてくれました。

 

-大きな会社に自ら売り込みにいくのはなかなか勇気がいりますね。

 

-自分の音楽を面白いと思ってくれるかどうかですので、売り込みにいくしかないですね。小さな会社は即戦力を、大きな会社は才能を見てくれるので。

 

-一番最初に曲を売り込んだときはご自身で作られた曲をそのまま出されたのですか?演奏家だと、自分がクラシックでやってきても求められるものがポップスだったとか、決められたジャンルの音楽を演奏してほしいということでそこでギャップを感じて行き詰まってしまう人も多いのですが、そういうことはありましたか?

 

-僕の科は特殊で商業音楽を勉強する科、映画放送音楽コースの一期生だったんですね。高校3年のときに習っていた作曲の先生に勧められて商業音楽を4年間勉強したので、そういう意味では売り込むときにそこのギャップは感じなかったですね。

 

 

 

 

 

 

音楽との向き合い方

 

-作曲する中で奏者の方や現場の方と接する機会が多いと思うのですが、佐藤さんが特に気をつけていることや大切にしていることはありますか?

 

-まず、良い演奏をしてもらうために僕なりに良い曲を書くことを大切にしています。それがミュージシャンのモチベーションになりますしね。それからもう一つ、現場の雰囲気を悪くしないことです。なるべくその場にいる色々な人が僕にも意見を言えるような雰囲気を作るのが大事だと思うんです。音楽を作るということは共同作業なので、僕が曲を書いて、良い演奏をしてもらって、良い音で撮っていただいて、みんなが意見してくれるような場を作ることを大事にしています。

 

-お会いさせていただいて事前にお話も聞かせていただいて、とても謙虚な方だという印象を受けたのですが、その根源にある思いを今少し聞けて嬉しかったです。

 

-んー、自信がない、というのもあるかもしれません。22歳から曲を書き始めて、もう30年くらい曲を書き続けてるんですよ。映画だと80本くらい、アニメドラマを含めると150本以上やっているんですけども、そのくらいやってると映画音楽とは何なのか、ドラマ音楽はこういうものだというのが分ってきそうじゃないですか。でも未だによく分らず毎回毎回迷いながら曲を書いていて。ひょっとすると一生映画音楽とは何なのか、ドラマ音楽はこういうものだというのをみんなに言えないまま、分らないまま仕事が終わってくんだな、とここ最近思うようになりました。

 

-すごく意外ですね。たくさんの曲を書かれていて、作曲された作品を聴くと壮大で、意思の強い音楽に聴こえるものが多いなと感じていたので。

 

-音楽を書くときに迷ってしまうと曲に現れちゃうんですね。だから書くときは目標を決めて、狙いを定めて書くんですけど、ただ本当にこれが正解かどうか、というのは分からないですね。書くときは正解だと信じて書くんですけど、最終的には迷いますし、毎回怖いです。

 

-確かに、私も演奏するときは自分の演奏が合っているのかどうか不安ですし、コンクールや試験で自信をもって良いと思って弾いた演奏に良くない評価がつくと落ち込みます。

 

-音楽は正解がないので、自分がこれが絶対良いと思っても全然違うよ、て言われることもあるので。でもそれって芸術とかエンターテイメントにおいてはしょうがないですよね。

 

-今後挑戦したいことはありますか?

 

-もうないですね笑。元々そんなに挑戦したいことってあんまりないんですよね。いただいた仕事を120パーセント頑張るということに尽きます。芸術家ではないので、自分から発信することがないんですね。職業作曲家なので、クライアントからお仕事をいただいて発注が来てようやく仕事ができるという立場。だから、喜んでもらえるように120パーセント頑張って良い音楽を作る、発注に沿った音楽を作る、発注以上の音楽を作る、ということが大事であって、個人的な目標というのはないですね。曲を書くということは、作品によって音楽のアプローチを変えたり、メロディーも違うので毎回挑戦ではあるんですけどね。何か新しい分野に飛び出す、という意味での挑戦はないです。

 

-佐藤さんにとって「良い音楽」とは何ですか?

 

-んー、お客さんに喜んでもらえる音楽が1つ良い音楽。それから自分が良いと思った音楽、自分が納得できた音楽も良い音楽。その2つがありますよね。僕が良いと思った音楽をみんなが良いと思ってくれるとは限らないです。ずっと曲を書き続けているとアカデミックな曲を書きたくなってしまうんですね。そうすると一般の人たちが聴きたい曲との乖離が出ちゃうんです。僕が良いと思った曲が必ずしも良い音楽ではなくて、みんなが僕の曲を良いと思ってくれても僕にとって良い音楽でなかったりすることもあるんですね。

 

一番良いのは僕が書きたかった音楽と聴いてる人たちが良いと思ってくれた音楽とのバランスが取れたときに、それが良い音楽かは分らないですけど、僕としては満足度の高い音楽にはなると思います。

 

 

 

 

 

 

現役音大生へのメッセージ

 

-音大在学中にやっておいて良かったことややっておけば良かったことはありますか?

 

-当時作曲ばかりしていて他の授業に興味を持たなかったんです。西洋音楽史とか音響学とか民族音楽とか…そういうものをサボってしまったので、なんてもったいないことをしたんだろうなと。

 

学校にいるときって授業の面白さに気がつかずに過ごしてしまいがちですよね。面白い先生がたくさんいらっしゃるので、連絡を取ってご挨拶にいけば、楽しくお話ししてくれる先生ばかりだと思うんですよ。僕も今、作曲科以外の子から教えてほしいと連絡もらうこともあるんですけど、やる気ある学生に何かを伝えるのって楽しいんですね。だから、当時僕たちが積極的に先生に会いにいけば、色々な話を聞けたのになという後悔がありますね。

 

-少し躊躇してしまうこともあるんですけど、迷わずやってみようかなと思います。学生中の出会いはその後のお仕事に影響しましたか?人脈を広げるためにも大切だと思うのですが。

 

-仕事につなげるために人脈を広げるということはあまり好きではないので、そのようなことを考えて人と付き合ったことはないですね。ただ誠実に人とお付き合いをするということは当然人間として大事なことで、その先にひょっとしたら仕事につながることがあるかもしれない、という考えの方が良いと思います。

 

-そろそろお時間来てしまったので最後になりますが、今回の記事の読み手は音大生なんですね。これから将来どうしようかな、と迷っている方も多くいらっしゃいまして、その音大生に向けて何かメッセージをお願いします。

 

-まずは音楽を真面目に勉強することも大事なんですけど、音楽って実は視野の広さが大事だと思っていて、それって音楽だけやっていても身につかないんですよ。だから作曲科の子たちにいうのは、曲書くのもいいけど、色々なところに行って様々な体験をした方が良いよって。一見音楽に関係ないと思われることが実は音楽のヒントになったりするんです。なかなか社会に出ちゃうと色々なものにチャレンジするとかできなくなってしまうんですね。

 

-時間的に、ということですよね。

 

-そうですね。大学生活って時間がある最後の時期になるかもしれないので、音楽だけに使わず色々なものにアンテナを張って様々な体験をしてほしいなと思います。それが音楽に返ってきますし、ひょっとするとそこで新たな発見があって、音楽以外にもっと楽しいことが見つかるかもしれないですし、自分のやりたいことが発見できるかもしれない。全てが身になる時期なのでね。技術はやっていけばどんどん上達していくので、今必ずしも焦ってやる必要はないと思います。それよりもそれ以外を学ぶことの方が、音楽表現の肉づけとなるので大事だと思います。

 

 

 

 

吉澤 ゆき乃 yoshizawa yukino
埼玉県出身。5歳よりピアノを始める。東京音楽大学付属高等学校を経て、東京音楽大学器楽専攻(ピアノ演奏家コース)2年在学中。
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