2022.7.28

人生は挑戦の連続、そして見つけた自分なりの「音楽と共に生きる」

人生は挑戦の連続、そして見つけた自分なりの「音楽と共に生きる」
小針 侑也 KOBARI Yuya

静岡県出身。日本大学芸術学部音楽学科を首席で卒業。
大学在学中に、株式会社タクティカートを共同創業者として設立。
新卒で経営コンサルティング会社に入社。コンサルタントとして勤務する傍ら、桐朋学園大学カレッジ・ディプロマコースに在籍。
現在、株式会社イープラスのエージェント事業に従事。主にピアニストの角野隼斗と亀井聖矢の担当を行う。

音大生が自身のキャリアを考えるために、音大生自身が音大卒業後のキャリアについてインタビュー。
今回のゲストは日本大学芸術学部音楽学科を卒業し、株式会社タクティカートを起業、経営コンサルティング会社での経験を経て、現在株式会社イープラスでお仕事をされている小針侑也さん。
これまでの苦労や人生を変える転機となったエピソード、そして音楽に対する想いなど…音楽業界の新たな時代を担う縁の下の力持ちとして、様々な活動に果敢に挑戦する姿を取材しました。

 

ピアノ漬けの幼少期とピアノから離れた4年間

 

ー小針さんが音楽を始められたきっかけを教えてください。

 

親がピアノの先生で、昔からピアノを弾く環境にいました。
小学校卒業くらいまでは俗に言うエリートみたいな…ピアノが中心の生活を送っていました。
でもそれは僕にとっては、やりたくてやっているというよりも親がピアノの先生ゆえにというのが大きくて、どうやって練習をサボろうかを考えながら小学校時代を過ごしていたんです。(笑)

中学生になったら辞めようと思っていて、実際に中学1年生でピアノを辞めて、勉強をしたり、卓球部に入って部活に打ち込んだりしていました。

 

ー一旦ピアノから離れた時期があったんですね!意外でした。高校は普通科に通われたんですか?

 

はい、普通科の高校に通っていました。卓球の強豪校だったこともあり、高校3年生の夏のインターハイまでは卓球漬けの毎日でした。部活を引退すると急に受験モードになったんですよね。部活ばかりしていたので、受験の準備はほぼ何もしていませんでした。
将来何をやるんだろうと考えたときに、高校が日大の付属高校で理系だったこともあり、日大の数学科を受けて数学の先生になろうかなとぼんやりと思っていました。ただ、オープンキャンパスに行った時に、あまり面白くなさそうだなと思ってしまって。(笑)

 

ー自分には合わないなと感じたんですね。

 

そうですね。数学を大学で4年間するのは結構きついなぁって思ってしまい、他の学部を調べていたら日大の中に芸術学部があって、そこで音楽を専攻できることを知って、もうここに行くしかないなと直感で思ったんですよね。

そんな感じでなので、当時からピアニストになりたくて音楽系の進路を選んだというわけではなく、とにかく楽しいことをやりたいという思いで、日芸を受けることを決めました。

海の見える素敵な場所でお話しを伺いました。

 

嫌なことはやらない。だから選んだ音楽の道

 

ー日大の芸術学部の音楽学科に入るために、またピアノを再開したのですね。

 

はい。高校3年生の秋ぐらいから本腰を入れて、そこからピアノ漬けの生活になりました。

 

ーピアノはブランクとか感じましたか?

 

めちゃくちゃありました。付属高校からの進学とは言え、実技は当然あるし、ソルフェージュもあって…
ソルフェージュって?って感じでした。(笑)
でも3ヶ月で、ショパンのエチュードとかべートーヴェンのソナタとかを仕上げなきゃいけない。たぶん人生で1番キツかったですね。

 

ーその時はお母様(ピアノの先生)に習ったのですか?

 

いや、もう独学です。
ソルフェージュも色んな教材を買ったり、ネットで調べたりして、何とか入試を乗り切りました。

 

ーそうだったのですね。一気に切り替えてピアノに集中できたのがすごいなと思います。
舞台経験もその5年間の期間はなかったんですよね…?

 

ほぼないですね。中学の合唱コンクールの伴奏ぐらいはやりましたけど。(笑)

 

音大とは少し違った芸術科での生活

 

ー大学時代(日芸)の話をお聞きしても良いですか?

 

はい。日芸ってたぶん特殊なんですよ。音大とは少し違って、なんだろう…色んな学生がいて…

 

ークラシック専門!みたいな雰囲気があんまりないっていう感じですか?

 

そうですね。オープンな雰囲気で、音大よりは一般大学に近いと思います。
好きなことやればいいじゃん!みたいなスタンスなので、ある意味すごく自由ですね。
何かを本気で取り組もうとすると、しっかりバックアップしてくださる環境がある。
ただ自分から意識的に何かやらないと、ただただ楽しく4年間があっという間に終わっちゃう環境でもあると思います。大学入ってから1年くらいは、僕は遊びの方に流されて…ほとんど遊んだ記憶しかないです。(笑)

 

ー大学生あるあるかもしれないですね。(笑)

 

でも音楽学科のカリキュラムは音大とほぼ変わらなく、2年の前期試験でコンチェルトオーディションみたいなのがあるんですよね。
その試験で1位になると、大学の定期演奏会のソリストとしてコンチェルトができるということを1年生の終わりくらいに知って、どうしても弾いてみたいコンチェルトがあったので、そこからはピアノに集中して取り組むようになりました。

でもその時はピアニストになりたいとかではなく、とりあえずコンチェルトが弾きたいという一心で、ピアノに向き合っていました。結構単純な性格なので、目の前に楽しそうなものがあったり、自分がやりたいものがあったら、そこにものすごく集中できるんですよね。

地元の三島フィルハーモニー管弦楽団とラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を共演。

 

どうやったらピアニストになれるの?

 

2年生の時にコンチェルトのオーディションに受かってからは、ピアノ漬けの生活に一変して、いろんなコンクールやマスタークラスなどを受けたりするようになりました。
そんな生活をしていたら、だんだん演奏家になりたくなってきたんですよね。(笑)

ピアノ弾いてるの楽しいな…将来ピアニストになろうかな…って思いつつも、ピアニストってどうやってなれるかが分からなくて。

これまで僕はガッツリ音楽業界にいたわけでもなく、周りにピアニストや演奏活動をしている友人がいるような環境でもなかったので、クラシック音楽業界の仕組みとかもわからず、人脈などの繋がりも全然なかったので、卒業したらどうやってピアニストとして演奏活動ができるようになるんだろう…と全く想像もつかなかったんですよね。

 

ーそうなんですね。その後どのような活動をされたんですか?

 

在学生は大学内のホールが無料で使えたこともあり、2年生の時に大学の友人たちに声をかけて、コンサートをやってみようと思い、企画したのが初めての自主企画でした。
こういう感じで自分で企画していけば、自分のコンサートとか演奏活動とかもちゃんとできるようになるのではなかろうか…って思いました。

そこから学外の人にも声をかけて、向上心のある仲間たちと企画をやりたい!って思って、色んな音大生の繋がりをつくってコンサートを企画するようになりました。

でも本当に自己流だったので、プロフェッショナルとして企画を作る人たちは、どうやって企画を組み立てていくのかをしっかりと学びたいと思い、大学3年生からはコンサート運営やオーケストラのステマネ、音楽祭の運営スタッフなど、音楽関係のアルバイトを始めました。

 

ーアルバイトをすると音大生とのつながりも増えますし、音楽関係の仕事をしている大人との関わりも増えていきますよね。

 

まさにそうですね。同じ大学やコミュニティにいると、身内で楽しくやれれば…みたいになっちゃうんですよね。だから外の人たちとも交流を少しずつ広げていって、数珠繋ぎに繋いでもらって…。自分が弾いたり企画したり、今思えば一生懸命だったなって思います。

そんな感じで大学生活を送っていて、いつか企画を仕事としてちゃんとやりたいなっていう思いもあれば、自分も演奏していきたいという気持ちも残っていて、これをうまくどっちも続けていくためには、どういう風に活動していけばいいのかな…と悩みながら、結局何をやりたいのか決め切れずに大学を卒業するんですよね。(笑)

仕事に集中している小針さん

 

会社員として働きながらピアノを続けるということ

 

ー企画者としても演奏者としてもやりたいことがあったんですね。卒業後はどうされたんですか?

 

新卒で経営コンサルの会社に入社しました。
それまで色々と活動をしている中で、”行動力だけで常識がない”とか、社会人経験がないことでのミスを指摘されることが多く、一度どこかの企業で勤めようと思ったんですよね。

 

ー普通に就活したのですか!?

 

そうです。ただ、まだ演奏者としてピアノを勉強したい気持ちもあったので、桐朋学園大学のカレッジディプロマコースに入り、働きながら並行して通う生活を送っていました。

 

ーどのようなスケジュールだったのですか?週に何回レッスンに行くとか決まってたんですか?

 

ピアノは週に1回のレッスンで、会社の方も普通の社員としての契約だったので、週5フルタイムで働いていました。レッスンの日程を調整いただき、うまくやってた感じですね。

 

ー会社で働いて、終わった後に家帰って練習して…

 

練習したり、休日には企画をしたりもしていました。

 

ーそれでも毎日練習していた感じですよね。小針さんは学生時代からスケジュール管理がしっかりされていて…すごいです!

 

どうなんですかね(笑)でも時間の使い方は気にするかもしれないですね。
色々なことが同時に進行していることが多いので、基本的にこの時間はこれに集中するという時間の割り振り方をしてます。

コンサルの仕事をしていた時も、仕事の時間は音楽のことは考えずに業務に対してだけ考えて、帰ったら仕事のことは考えずに今日やるべき練習や企画などの頭に完全に切り替えて、それしか考えないで集中するということは意識的に取り組んでいました。

やっぱり練習してる時に、あの企画どうだっけな、あのレポートが…とかって考え始めると、上手くなるものも上手くならないですよね。

 

タクティカート設立のきっかけ

 

ータクティカートも、コンサルの会社で働いている中で起業したのですか?

 

そうですね。コンサルの会社で働いていた時も、自主企画は細々とやっていました。
そんな中、2018年の11月にのちにタクティカートを一緒に立ち上げる稲垣さんと出会いました。

 

ー稲垣さんはどのような人だったんですか?

 

彼は法科大学院に通っていて音楽の著作権とか権利の勉強をしていました。
当時、彼もちょうどコンサートの企画をする会社を作りたいと思っていて、出会った時にその話を聞いて盛り上がって、じゃあ一緒に作っちゃおうよ!みたいなノリから始まったんですよ。(笑)
それで2019年の1月に共同創業の形で2人で起業しました。

設立当初は、僕はコンサルの仕事はまだ続けていて、タクティカートの経営もして、ピアノの勉強もして…(笑)そんな生活を半年くらいしていました。

 

ーなるほど。それがタクティカート設立のきっかけになったんですね。

 

タクティカートを設立した当初は、最初はホールを借りるお金もなかったので、稲垣さんがバイトをしていた焼肉屋さんで、無理矢理ピアノを置かせてもらって、”焼肉を食べながら生演奏が聴ける” という企画から始まったんですよね。(笑)

 

タクティカート設立記念パーティーのお写真。

 

角野隼斗さんとの出会い、人生を賭けた転機

 

2018年の夏に、友人の角野隼斗くんがピティナの特級でグランプリを受賞して、注目を集めていました。グランプリを受賞したことがキッカケで、彼から演奏活動を本格的にしていきたいという話を聞いていて、一緒にリサイタルを企画しようと持ちかけました。
最初は100人くらいのサロンで彼のリサイタルの企画をして…それが会社を立ち上げて5ヶ月後とかですかね。

 

ーすごいですね…ご自身もピアノをやって、タクティカートもあって、コンサルの会社に勤めていての話ですもんね。

 

そうですね。何の人って感じですよね(笑)
でもその当時は、100人規模のサロンコンサートを企画するのも大変でした。だけどそのコンサートが、すごい盛り上がり方をしたんですよね。
それで角野くんとコンサートとかこれからもやっていく?全国ツアーとかやれちゃうのかな?という話になって。

ちょうど彼はYouTubeでも注目され始めているタイミングで、今全国ツアーを企画したら絶対に上手くいくという感覚があって、これはリスクを背負ってもやるべきだと直感で思ったんですよね。

当時のタクティカートにはツアーが出来る程の資金力はなかったんですが、勢いだけですぐに全国5都市のホールを借りました。その後、音楽関係の企業の方々からのご支援とご協力により、開催できる見通しが立ち、全国ツアーを企画したのがいろんな面に関しても、僕の転機になりましたね。

この全国ツアーを成功させることで、絶対何かが変わると思ったので、企画をしている段階で僕はコンサルの会社を辞めて、もう角野くんに賭けようと思いました。2019年10月からの3ヶ月は、ツアーを成功させるための準備に専念していましたね。

どうやったら角野くんのすごさが世の中に伝わるんだろう…と、プロモーションやツアー制作を本気でやって、無事に全公演満席で完走できました。この当時の出来事が今の活動に繋がっている「原点」のような気がします。

コンサルの会社を辞めるのはすごく大きな決断だったのですが、会社で仕事をしながらツアーもうまくいかせるのは両立できないなぁと。全部が中途半端になるくらいだったら何を取るべきか、とすごく考えました。
でもそのツアーをやれるチャンスってその時にしかないなって思って、直感でもあるんですよね。角野くんが絶対売れそうな感覚はあったから、そこに賭けたいなぁという思いがありました。

 

ー安定より挑戦を選ぶ…ような感じがしてすごくカッコいいです…!

 

角野隼斗さんとの一枚。

 

イープラスでの挑戦

 

ーそこから角野さんのマネジメントをしていくことになったんですか?

 

そうですね。ツアーが終わって、角野くんも僕もこれからどうしようかを考えていた時に、イープラスの会長が直々に声をかけてくださったんですよね。
イープラスが新しく立ち上げる「エージェント事業」のビジョンにとても共鳴して、角野くんはイープラスとエージェント契約し、僕は社員として入社することになりました。

 

ー小針さんも角野さんも、お二人とも大きな決断をされたのですね。イープラスに入社した後の話を聞かせていただけますか?

 

もともと2019年に横浜の赤レンガで開催されていた「STAND UP! CLASSIC FESTIVAL」など、イープラスが企画しているイベントやコンサートに足を運んだりしていたので、クラシック業界に新しい風を起こそうとしていることはよく知っていました。ちょうど僕が入社した時に「エージェント事業」をスタートするタイミングだったので、立ち上げ期から関わっていた感じですね。

 

ーエージェント事業とはどんなことをしているんですか?

 

これまでアーティスト活動を行うためには音楽事務所に所属するスタイルが一般的でしたが、インターネットやYouTubeなどの普及によりアーティストを取り巻く環境も大きく変化していて、特にコロナ禍以降では新しい活動の形が求められてきていると思っています。そのニーズに応えるためにマネジメントではなく、アーティストと対等な立場のパートナーとしてサポートする”エージェント”の事業を行なっています。

僕は主にピアニストの角野隼斗くんと亀井聖矢くんの担当として、彼らのスケジュール管理などから、コンサートやツアーの制作、さらにはプロモーション戦略などを行なっています。アーティストと常に向き合い、今後どのように活動して行きたいのか、どのような公演を行いたいかなどを聞いたり、感じ取ったりしながら公演のブッキングやメディアなども調整します。直近の活動はもちろん、数年後の目標などの長期目線でもアーティストの実現したい世界に近づくためにアーティストに寄り添い、サポートをしています。

最初は緊張気味だった私たちも、小針さんのお話しに興味津々でした。

 

活動に線を引かないからできる仕事がある

 

ー小針さんの演奏家としてのお仕事の話もお伺いしてもよろしいですか?

 

アーティストのエージェントのお仕事をしていくうちに、自分と音楽の付き合い方を考えたんですよね。
大学の時は、基本的に自分が弾くことが軸になっていたゆえに、自分が演奏活動をすることが前提になっていました。だけど、色んな活動をするようになっていって、結局自分は何をやりたかったんだろうみたいなことを考え直して。

もちろんピアノを弾くことは好きなのですが、ピアノを弾いていなくても音楽を聴いたり話したり、クラシック音楽に関わっているということこそが何よりも幸せな時間なのだということに気づいて、”そこからはピアニストになるために~” とか、”演奏活動をするためには~” ということを考えることはなくなりましたね。

だから演奏活動、仕事、企画、みたいな感じであんまりジャンル分けして考えていないかもしれません。

 

ー演奏者と企画者の間に境界線を設けて考えるのではなく、クラシックが好きだと言う気持ちで、今あるものに関わっていこうと言う感じですかね…?

 

そうですね。なので、今の自分の環境下の中でやったほうが良さそうなことと、やるべきじゃなさそうなことを考えて、自分が今本当にやってみたいとか、楽しそうだと思えることにちゃんと時間を割けるようにしています。やっぱり面白そうだったり、自分がワクワクするようなことをやっていきたいですよね。

ピアノ教室の運営を始めたのもその一環で、知り合いのお子さんを教えたのがきっかけです。ちょうどYouTubeが流行りだしたタイミングで、ストリートピアノなどの動画を上げているピアニストに憧れを持つ人たちが増えていたんですよね。その習いにきていた子は、クラシックのピアノを習いたいだけじゃなくて、ストリートピアノで即興とかセッションを出来るようになりたい!と言っていて、だったら即興ができるプロに教えてもらえるような環境を作って、その人たちに繋いであげようかなと思い、即興ができる友人のピアニストを招いて、クラシックだけではなく、即興やポップスなども、どんなジャンルのピアノも習えるようなピアノ教室の仕組みを作りました。

 

ーなんだか先見の明がありますね…!

 

戦略的に考えているとかではなく、単純にその場その場で出会った人たちの話を聞いて、需要があるなと感じてやっていくので、僕から何か察知してやったろう!と言う感じではなくて…

 

ーお客さんが何が欲しいか察知することって、すごく大事だなと思います。結局相手が必要じゃないことやっても求められないので…

 

本当にそうだと思います。何かやらなければいけないと強制されてやったことや、目先のお金を稼ぐためなどの理由でやったものって、1回2回はうまくできたとしてもその先が続かないですよね。

 

ー私が音大の中で演奏会をする時にも、集客に対する課題を感じます…。

 

集客に関しては、長期的に考えるとアーティスト個人にファンをつけるか、企画にファンをつけるかの選択肢しかほぼないですよね。
集客できる良い企画を作ることの難しさは日々とても感じています。企画として面白いものができてもアーティストが出たくないと言ったら本末転倒なので。アーティストにとっても出る意味がある企画を考えなきゃいけないかなぁと思います。奥が深くて面白いんですよ。

 

ーなんだか小針さんが様々な仕事に境界線を引かず、幅広く活動している理由が少しわかったような気がします…!

 

角野くんの担当を長くやっているので、僕自身も彼の影響を結構受けているんですよね。
彼は音楽のジャンルに境界線を引かない人なんですけど、僕が様々な仕事や取り組んでいることに境界線を引かずに、柔軟に考えたり取り組んだりするようになったのも、角野くんの思考の影響を受けていると思います。

 

今後のビジョンと音大生へのエール

 

ー今後新しくチャレンジしてみたい事はありますか?

 

どうなんですかね…皆さんみたいにこれを目指してます!みたいな事は実は意外となくて。

何かを成し遂げたくてやってると言うよりも、その時にやりたいことをやっていたいし、やりたくないことはやりたくない。今やるべきことをやり続けられれば、それぞれでうまくいくんじゃないかなっていう考えですね。

現状維持とは言いたくないけど、目先のことをしっかりとやれるように、頑張り続けたいなぁと思っています。ちゃんと目の前のことをこなし続けて、自分も幸せで周りの人も幸せでいられればいいなって思います。

 

ーありがとうございます…!
大学の卒業を控えていたり、今から音大に入ろうと思っている人たちに、何か伝えたいことやエールがあったら…お願いします!

 

なんだろうなぁ…多分音大生の1番の悩みって、将来への不安だと思うんですよね。卒業したらどうしようとか、音楽をずっとやっていたから就職活動をするのはもったいないとかの悩みがあると思うんです。
でも一回それは置いておいて、自分は何をしている時が1番幸せなんだろうってことを自分自身に問うたほうがいいと思っていて。

環境的に何となくやっている人が多い気がしているんですよね。
例えば、演奏家になりたいという音大生の人と話す時に、どういう演奏家になりたいのか聞くと、具体的には出てこない…みたいな。オケに入りたいのか伴奏をたくさんやりたいのか、コンチェルトをしたいのかとか、リサイタルで全国回りたいのか…。場所も、小ホールやサロンみたいな近くで聞かせたいのか、大ホールで多くの聴衆を沸かせたいのかで全然違うと思っていて、その考えもまとまらない中で、なんとなく音楽活動やりたいみたいなことだけで悩んでいるのであれば、具体的にどんな活動をしていきたいのかなど、もうちょっとそこを考えるべきなのかなぁと思います。この楽器の伴奏をやっていきたいです、みたいなしっかりとした志を持ってアプローチしてやっていけば、絶対その仕事はできますから。

その上で演奏家になりたいのか、それ以外の道もあるのかをしっかり考え、演奏家以外でも別のことにチャレンジしたり、視野を広げる活動をしても良いと思います。

 

ー逆に自分が音楽をやっているから、この先も音楽を仕事にしていかなければいけない!みたいな感じではなく、本当に一旦ゼロになってというか…自分が本当に幸せを感じたり情熱を注げるものって何なんだろうって、考え直すことが大切なのかなと思いました。

 

僕も実際そうなんですよね。
一度別の業界とかで働いたりすると、そこで合うかもしれないし、やっぱり自分には音楽だって強い意志を持って音楽に戻ってくることもできますよね。

 

ーもうやりたいことが決まったら突き進むしかない!みたいな…

 

そうですね。やりたいことが決まったらそのことに本気で取り組むことは大事だと思います。

 

ーなるほど。小針さんは一貫性のある方だなぁと思いました。
様々な決断をされてきたと思うんですけど、一貫して自分のやりたくない事はやらない、その代わりやりたいことは絶対に成し遂げる。という意志を持って突き進んできたんですね。
貴重なお話しをありがとうございました!

 

こちらこそ、ありがとうございました!

 

 

撮影:川﨑 和音

安部 瑠那 AMBE Luna
福島県出身。東京音楽大学音楽学部音楽学科器楽専攻(ピアノ)4年在学中。4歳からピアノを始める。趣味はライブやコンサートに行くこと、友人と食事やお酒を楽しむこと。
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