音楽写真家。横浜市生まれ。
東京藝術大学音楽学部声楽科を卒業後、複数のコンサートマネジメント会社、スタジオエビス勤務を経て独立。クラシック音楽を専門にコンサート、ポートレート、ドキュメンタリーを撮影している。音楽祭、音楽関連誌などで活動中。
音大生が自身のキャリアを考えるために、卒業後のキャリアについて音大生ならではの視点でインタビュー。
今回のゲストは、東京藝術大学で声楽を学び、現在はフリーカメラマンとして音楽祭、音楽誌などで幅広く活躍する平館平さん。
カメラマンならではの視点で音楽を捉える彼の音楽観は、キャリアを考える私たちの視野を大きく広げてくれました。
ある漫画を機に出逢った「声楽」。将来を考えるきっかけに。
音楽を始めたきっかけは、高校2年の夏休みに、音楽を始めたい衝動に駆られたことでした。
バンドをやってみたいとか、この時期によくある音楽に憧れるみたいな感じですね。
そんな思いから、楽器店でサックスを習い始めました。 そうしたら、通っている楽器店に、「のだめカンタービレ」の漫画がありまして!
この漫画を読んでいるうちに『音大って楽しそうだな、行ってみたい!』という気持ちが芽生えたのです。
音大って、小さい頃から真摯にやってる人たちが行く場所でお金がかかると知りながらも、気になったので高校2年生の12月ごろ、音楽の先生に相談に行きました。
そこで先生に『ちょっと始めるの遅かったけど、声楽なら遅くても大丈夫らしい。』と聞きまして。
その時に、声変わりの変化や声帯の構造の話を聞いて興味を持ったこともあり、声楽の道に進む方向となりました。
実際、音大に行きたいのかサックスがしたいのか、悩みましたが、声楽受験を決断して声楽・ソルフェージュ・ピアノを習い始めました。
その頃は、発声練習がメインで、イタリア古典歌曲が何なのかもよくわからず歌っていましたが、やればやるほどどんどんうまくなるところがとても面白かったです。
それがモチベーションにも繋がって、ベクトルが歌に向いていったと思うんです。
どんどん声が良くなるのが面白いし、一浪はしたけれど、ピアノや歌をやるのが、この時期とても楽しかったですね。
−進路のきっかけとなった「のだめカンタービレ」から、点が線になっていくような決断だったのです ね。
実際に東京藝術大学(以下「藝大」といいます。)に入ってみて、大学の印象はどうでしたか?
入ってみたら、自分だけ何も分からないみたいな状況でしたね。
音楽の世界について何も知らないことに気まずさも感じました。
一方で、毎日部活みたいに楽しくて、声が出ない悩みを共有したり、友達と話す中で曲を知ったり、憧れの演奏家ができたりと、アンサンブルの楽しさも知りました。
藝大の1.2.3年は全員合唱の授業が必修で、合同で2曲演奏します。
一つは「藝大メサイア」を東京文化会館で行って、もう一つは毎年違うオラトリオを「藝大定期演奏会(合唱定期)」で歌います。
その2曲を、半年かけてやる中で、初めて自分の声が、上手な仲間と合わさった感覚がわかり、すごく楽しかったです。
−そんな大学生活の中で、正直苦痛だと思ったことはありましたか?
元々、音楽家になりたいという強い想いがあった訳ではなかったので、向き合いきれず逃げ回ってしまった時期もありました。
1年生の時から学園祭の実行委員をやっていて、 2年生で実行委員長を務めたことは貴重な経験でした。
今でもその時に出会った美術専攻の友達と一緒に仕事しますし、良い思い出がたくさんありますが、同時に、その時間は音楽からの逃げでもありました。
「藝祭」が終わった時に、逃げ場がなくなって、その後いわゆる鬱状態になってしまって、メンタルのバランスを取れずに休学しました。
結局半年くらいで、レッスンには戻り、朝のバイトをしながら心身を整えて回復してきました。
−そんな背景があったのですね。
それでも、大学に戻る事に決めた原動力は何だったのでしょうか?
実は、一回辞めようとも思いました。
ですが、しんどいのは音楽だけど、救いをくれたのも音楽で。
苦しい時何かCDをかけたり、自分で歌うことで、気持ちが救われたり。
あとは、ピアノで音を無心に単純に鳴らすと、ちょっと表の世界と一瞬別のところに行く。
そんなとこ ろが、支えになっていましたね。
なので、自分を救ってくれた音楽の周辺で仕事しようと復帰しました。
そこから、声楽と並行しながら、マネジメントの授業を受講するようになりました。
一度きりの人生で進むべき道とは。決断を導いた人
−アートマネジメントのお勉強をされてから、その後どのようにカメラマンの進路を選択されたのですか?
卒業後は、すぐカメラマンになった訳ではなく、「東京・春・音楽祭」(以下「春祭」といいます。)などの音楽祭の事務局で、アルバイトをしたり、就職してレセプショニストやチケットセンターの仕事をしました。
とても良い会社で貴重な経験をさせていただいたのですが、毎日スーツで満員電車に乗って通勤して、自分は一体何をやっているのかなぁと思ってしまった訳です。
この初任給が、たとえば家庭を養える手取り30−40万になるのはいつになることだろう、と。
そこで、人生一回しかないし、向いてなさそうな会社員をやめて、やりたいことをやろうと思い、無理を言って一年で会社を辞めさせてもらって。
趣味で一眼レフをぶら下げてよく歩いていたこともあり、写真の道に進むことを決めました。
カメラマンになろうと思った時、スタジオに行くのを勧めてくれたのが、ずっとミューザ川崎の専属カメラマンをされていた、故 青柳聡さん(以下「青柳さん」といいます。)でした。
スタジオでの勤務ではCM、広告、ファッションなど色々な分野の撮影を目の当たりにすることができました。
モデル、カメラマン、スタッフ、メイク さん、クライアント、代理店の人を迎え入れて、カメラマンの指示に従ってセットを行う、いわゆるスタジオマンと呼ばれる仕事です。
下働きをしながら、ストロボの組み方などのスタジオワークを勉強することができました。
−身近なところに出会いがあったのですね。青柳さんとの出会いのきっかけを教えて頂けますか?
初めの出会いは春祭のアルバイトをしていた時でした。
青柳さんが撮影で入っていたので、カメラ好きだった僕は撮影室に入り込んで、『どんなレンズ使ってるんですか?なんでこの仕事してるのですか?』って根掘り葉掘り聞いたりして。
カメラマンになりたいと思い立った時も、写真を見せに行ったりしていました。
大体、カフェの喫煙席の煙いところで『これは少し良いね。これは改善の余地がありますね。』と指導をしてくれました。
−青柳さんは平舘さんのカメラマンとしての原点をつくってくれた方でしょうか?
そうですね!その出会いのおかげと言っていいと思います。
現場で一緒になることはあまりなかったけれど、今の道に導いてくれた方だと、僕は思っています。
被写体と音楽が結びつく瞬間をシャッターに・・・。
−カメラのお仕事で、被写体を知るということについて、ご自身ならではの心掛けていることはありますか?
僕の撮影は大きく分けて、”相手が撮られているとわかっている写真”(アーティスト写真、ジャケットなど、 対面するもの)と”撮られていると認識してない写真”(演奏中の写真など)があります。
前者は写真以外の仕事と変わらない感覚でできることが多いと思いますが、後者は気をつけないと色々な問題を孕んでいる気がします。
というのも、後者は、舞台に立っている人をこっちから一方的に覗き込んで、写真に収める訳ですよ。
それは結局、誰かがやったことの”上ズミ”をかすめとっていることだと思っていて。
そこを自覚せずに、相手(アーティスト)と自分を同列と考えてしまったり、一方的に撮っているだけなのに相手を知ったような気持ちになってしまったり、もっと知りたいとか、自分のことを認めてほしいという欲を出してしまったりするとおかしなことになると考えています。
仮に、僕が、著名人を撮影をしたとして、『すごいですね!』と言われても、すごいのは演奏者で、僕(カメラマン側)ではないということ。
そこはちゃんと自覚しなきゃいけないと思っています。
だから、すごい人に対して、擦り寄ったり自分と同列に並べることはしないように意識していますね。
どっちかというと、自分を高めることで、結果的に相手と対等になれたり、会話が生まれたりしたらいいなと思っています。
−すごく心に響いて拝聴していました。どんなことを考えて撮影しているかを知れて嬉しいです。
アーティストに関わる仕事は沢山ありますが、僕が歌手とか、所謂アーティスト、クリエイターでなく、 カメラマンが向いてると思うのは、自分から何か作って表に出すよりも受け取るのが先な方がしっくり来るからです。
カメラマンは、目の前で何かしている人から何か受け取ることから始まるじゃないですか。
受け取ることに関していうと、自分にないものの方が、憧れの気持ちも手伝って吸収しやすい気がします。
−一つ一つの仕事で、大切にしていることはありますか?
コンサートの写真でいえば、自分自身が音楽をやっていたこともあって、ホールでの振る舞い方、演奏者がこれ以上近寄られたら嫌というのを察すること、曲を何となく知っておくことは撮れ高にも関わるので大事にしています。
−大学時代の経験が活かされているのですね!
そうですね、何だかんだ活きていますね。
たとえば楽譜を見て、シンバルが一回しか鳴らない曲であれば、楽器が開いてる瞬間の全体写真を撮れるように位置取りを工夫して、その時はホールの正面にいなきゃなとかを考えています。
−曲の分析もされて、カメラと向き合っていらっしゃることに感銘を受けます。
他には、プレイヤーの動きに対して、人より敏感にならなきゃなと思っています。
というのも、カメラマンとして”音楽とその人が結びつく瞬間”をちゃんと見えるようにしたいと思っていて。
演奏者ってフォトジェニックだから、楽器を構えているだけでかっこいいんですよ。
だけど、その人の生きてる感じと呼吸とビジュアル、絵的な良さがちゃんと繋がる瞬間があるので、その一瞬を見ることができるようにしたいなと思っています。
−それは、演奏者の熱量、気迫などでしょうか?
そうですね。生命力というか、バイブスみたいな。
−音楽以外のジャンルも撮影されているのですか?
アーティスト写真、コンサート撮影を始め、ファッションも、建築も。
依頼があれば何でもやっていますね。
−その中でも、軸は音楽なのでしょうか?
そうですね、割合としては音楽が多いです。
撮影していて好きなのも、この分野ですね。
最近のテーマとしては、音が鳴っていないときの音楽家と音楽の関わり方を、よく考えるようにしています。
アーティスト写真など演奏中以外の写真でも、人柄や音楽性をビビッと感じてもらえるような写真が撮りたくて研究中ですね。
アーティストの生き方を自身の励みに。
−撮影する中で音楽が好きな理由、お聞かせ願えますか?
音楽家を撮り続けるのが好きな理由は、一言で言うとこの業界には良い人が多いからです。
やっぱり芸術に関わっている人は、常に良きもの・良き人であろうという意識がある。
彼らは、芸術には、お金では補えない、人を感動させる力があると認識しているから、人としてよくあろうという意識を持っているのだと思います。
そういう人たちの中に身を置くのは、すごく好きですね。
それは、自分がそういう人なりきれないからでもあって、僕は割と現実主義であったりドライだったりするんです。
昔から、アーティストや本などすごい好きなものとかハマるものがなくて、仮に何かすごく好きなものがあったとしても、それをやったから何になるんだろうとか、死ぬ時には関係ないんじゃないかとか考えてしまって。
打ち込める何かがある人にしかたどり着けない世界があるとも思うんですけどね。
だから、そういった人たちが周りにいて、人としての「良さ」を悩みながらも追求する姿勢を見られるのは、とても励みになります。
−すごく興味深くて、カメラの奥深さを感じました!
責任と決断〜自分の道を決められるのは、自分だけ〜
−今後のご展望をお聞かせ頂けますか?
仕事としては、自分を必要としてもらえる撮影がしたいですね。
お互いリスペクトがないと良い仕事はできないので、どうしてもあなたにやってほしいと感じられる仕事を今後もしたいですね。
もちろんそれは、放っておけばいただけるわけではなく、実績を積んだからといって必ずいただけるわけでもありません。
自分の周りには自分に見合った人しか集まらないので、自分が一歩一歩、人としても、カメラマンとしても成長していくことで、必要とされる存在になりたいです。
今は、音楽に取り組んでいる人を見て、救いというか、色んな意味で励みになって前向きになれている気がしていて。
クラシックを演奏するというのは、『目に見えている世界の向こう側にある真理のようなものに手を伸ばそうとする営み』だと思っています。
多分、作曲家たちも多かれ少なかれ、曲を作っている過程でそう感じる場面があると思いますし、アーティストもそれを知っているからこそ、追求を止められないのだと思います。
僕は、音楽的な営みをしている人が愛おしいし、そばにいられるのを光栄に思うし、憧れでもある。
だから、いつか形は違えど、目に見えない大事なもの、世界を追求する何かをできたらいいなと思って います。
もしかしたら、この仕事がそうかもしれないですけどね(笑)
−現役音大生へのメッセージを頂けますか?
ぜひ、やりたいようやってください。
やりたいようにやるんですけど、その上で必ず自分で考えて、自分で決めて、自分で責任を持つことを大事にしてほしいです。
−すごく沁みます。そこに尽きるというか、大事なことですよね。
そう、何をしようがしまいが、自分で決めたことなら、失敗してもいいんです。
だけど自分で判断しないと、成功しても何も身にならない。
フリーランスになりたいが、どうしたらいいか(なるべきか、やめた方がいいか)という相談がたまに来るんですけど、最後は自分の意思で決めるしかないです。
自分にとって価値があるものは何かを明確にすることです。
−自分で納得して、選ばなくてはいけないということですね。
そうですね。逆にいうと、自分がやっていることは全部自分で選んだものであるという自覚を持つことなんですよね。
自分の思いを大切に自分なりの道を進んでいってほしいなと思います。
応援しています!
-心に響く、貴重なお話をありがとうございました!
撮影:山吹泰男