2021.12.28

飾らない表現者でありたい。自分を信じて一歩踏み出した先に掴んだミュージカルの仕事!

飾らない表現者でありたい。自分を信じて一歩踏み出した先に掴んだミュージカルの仕事!
石井千賀

1998年11月13日生まれ。
小学校5年生より本格的に声楽を始める。
第8回東京国際声楽コンクール高校生の部第3位。第70回全日本学生音楽コンクール声楽の部高校生部門東京大会奨励賞。第70回滝廉太郎記念全日本高等学校声楽コンクール第2位。第18回日本演奏家コンクール高校生声楽の部第1位及び横浜市長賞、テレビ神奈川賞受賞。その他にも様々なコンクールで入賞している。学内オーディションに合格し、高校二年生でハンガリーのマーチャーシュ教会、オーストリアウィーンのシューベルトの生家にてコンサートのソリストを務める。
東京藝術大学音楽学部声楽科卒。
現在はミュージカルを主軸として、モデルやMCなど様々なジャンルで活躍している
近年の主な出演作品にミュージカル「マタ・ハリ」、ミュージカル「グリース」、2022年ミュージカル「四月は君の嘘」出演予定。

音大生が自身のキャリアを考えるために、卒業後のキャリアについて音大生ならではの視点でインタビュー。

今回のゲストは、東京藝術大学で声楽を学び、現在はミュージカルの舞台に立ちながら、モデルやMCとしても幅広く活躍する石井千賀さん。

彼女の飾らないまっすぐな生き方は、未来に向き合う私たちに一歩踏み出す力をくれるはず。

 

 


「歌って踊るのが当たり前」の日常が音大への思いを育てた

 

ー音楽に出会ったきっかけ、音楽を始めたきっかけは何かありましたか。

音大に入る前のお話を聞かせてください。

 

ーもともと両親が大のディズニー好きで、生まれる前からディズニー音楽とかディズニー映画に触れてきたらしくて。

生まれて0歳半の時ぐらいから、ずっとパークに行っていました。

ディズニーだと歌って踊るのが当たり前じゃないですか。

だから私は現実の世界でも歌って踊るのが当たり前だと思って育ったの。

 

でもそのうち気づいて。

世間ではそれがあまり当たり前ではなくて、実は人は街で歌ったり、踊ったりしないと。

気づくのは少し遅かったですけど、どちらにしても音楽は身近にあるのが当たり前の存在でした。

周りから見たら多分変な子でしたけど、親が「人と違うからやめなさい」と言わずに、すごいねと伸ばしてくれて。

 

親としては私に何者かになってほしいわけではなく、好きなことをやらせたいという気持ちがあったようで、いざ音楽を習うことになったとき、近所で歌を教えている先生に小学3年生のとき通い始めました。

ミュージカルや童謡の歌をやるのかと思っていたら、オペラの先生だったので、いきなりイタリア歌曲やコンコーネを習うことに。

やってみたら楽しくなってしまって、小学3年生からずっと続けて今に至ります。

 

 

 

 

 

 

ー中学卒業後はディズニーのキャストのように歌って踊るお仕事を目指して音高に進んだのですか。

 

ーオリエンタルランドに就職したいと思っていました。

ただ、オリエンタルランドで歌を仕事にできるとは思っていなかったので、キャストではなく一般職を目指していました。

と言ってもオリエンタルランドは超人気企業だから、普通のやり方では就職できないと思って。

 

そこで、自分がアピール出来る人と違う魅力は何かと考えたときに、音大に進み、この才能を活かして就職したいと思いました。

私がすごく好きだった先生が東京音大の先生だったこともあり、まずは音大を目指そうと考え、音大への一番の近道は音楽科がある高校に進むことだと思ったので音高を受験しました。

この辺までかしら。

 

ー小さい頃から将来を見据えて進路を選択してきたのですね。

夢に向かって努力し続けられるのは本当にすごいことだと思います!

芸大を目指したきっかけは何かありますか。

 

ーあのね、私が高校時代にずっと片思いしていた人がいて、のちのち付き合ったんだけど、その人のお兄様が芸大だったの。

 

ある時、その人に芸祭に行こうと誘われてね。

その頃は芸大と学芸大の違いも知らなくて、芸大ってすごく頭のいい、先生になるところ?音楽するところ?と聞いてしまうくらい区別がついていなかったんだけど、いざ芸祭に行ったら、私もここに入りたいと思ったの。

その人が芸大に入ると言ったから、なら私もそこに入る!と決めました。

 

ー即決ですね!

芸大を受験するにあたって、苦労したことはありましたか。

 

ー最大の壁は親からの反対でした。

芸大はセンターを受験しなければいけないから塾に行く必要があるし、芸大の先生のレッスンに就いたり、芸大で教えている先生にソルフェージュを指導してもらったりと、入るまでが結構大変。

だから受けるなら条件を付けると親から言われました。

その条件が3年生の前期と後期の試験で上位5位以内に入ること。高校生の間にコンクールで3タイトル以上取ること。それからセンター試験で半分(の点数)は取ること。

 

私、歌が下手だったの。

今もそんなに上手くないけど、当時すごく下手だったから、このままだと芸大が受けられなくて、好きな人と芸大に行けなくなると思って、必死に練習しました。

 

努力した甲斐があり、3年の前期と卒試ではどちらもトップを取り、コンクールも約束したとおり3タイトル取れたので、ついに受験の許可が出て受けられることになりました。

ただ、好きだった人には別れを告げられました。

 

 

 

 

 

 

ーコンクールでのタイトル獲得や試験での成績上位など、様々な試練をどんな思いで乗り越えてきたのですか。

 

ー音高は音大に入りたい子が集まってきているので、普通の学校よりは頑張る仲間ができやすい環境だったと思います。

私の周りはみんな芸大を目指していた子だったから、その子たちがものすごい勢いで練習とかしてると、自分もやらなくてはと思うし、競う仲間が近くにいると正直焦りますよね。

 

たとえば、ヴァイオリンとかピアノの子たちが一日8時間とか弾く姿を見てると、私も8時間練習しないといけないという気持ちになってしまうの。

声楽は実際8時間も練習したら喉が死ぬから、頑張ってもせいぜい2時間ぐらいなのに。

 

それから楽器の子は朝がとても早い。

朝6時に学校が開くのに合わせて6時に来るんですよ。

の子たちが朝から練習してるのが悔しくて、私も朝6時に練習室に行くようにしたの。

朝練してから授業出て、昼休みも練習して、放課後は(部活に入ってなかったので)学校が閉まる夜8時までずっと練習して、帰るという生活をしていました。

 

ーほとんど部活ですね。

そんな音高時代を経て、晴れて音大進学となったわけですが、実際に芸大に入ってみてどうでしたか。

 

ー私、自分はどちらかと言えば変な人間だという自覚はあるんだけど、そんな私でも芸大に入ってすごく衝撃を受けた出来事があるの。

 

私は公共の場でも普通に歌うけど、「つい歌っちゃった」くらいの大きさにします。

でも芸大の子たちは上野公園のど真ん中を歩きながら、平気で演奏会ぐらいの声量で歌ったりハモったりするのには衝撃を受けました(笑)。

 

それから、レッスン室で1人で練習していると突然友達が乱入してきて、急にセッションが始まったりします。

電車が通過するときにテノールの子がハイCを出すのも恒例でした。

電車の音がうるさいから大声出しても大丈夫だと思っているの。

変な人に囲まれたおかげで、毎日がすごく刺激的でした。

 

ー芸大は独特の雰囲気があるようですね。

そんな刺激的な日々の中で学んだこと、経験したことは何かありますか。

 

ーそうですね、一般大学に比べて目上の方と接する機会が多くあったのは良かったです。

レッスンや演奏会でかなり目上の先輩やOBOGと話します。

だから目上の方に対する礼儀や姿勢、話し方は一般的な同年代より早く身についていたと思います。

社会に出てから有り難みを実感しますが、礼儀作法をとことん叩き込まれました。

 

特に高校時代に就いていた先生がすごく厳しかったの。

制服のシャツのボタンが止まってないだけで、「あなたはそれでモーツァルトを歌うんですか?」と言われるのよ。

あと短い靴下もダメだった。

「あなたは本当にクラシックに向き合おうと思ってますか?」って。

 

楽譜を製本するテープ幅のミリ数や留める位置まで指定があって、製本が汚いとレッスンを見てもらえないこともあるくらい。

その厳しさがあったおかげで、社会に出る前に社会人としての基礎が身につきました。

 

 

 

 

 

前に進みたいから、院に進まない決断をした

 

ー先輩やOBOGの方との関わりは、学外の環境に触れる貴重な機会だったのですね。

 

ーそうですね、在学中ある芸大の先輩と交わした会話が、私の人生の転機になりました。

 

その先輩はビーズのドラマーなどをしている人でね。

その方が言うには、芸大をはじめ音大は入学するのが目的になってしまい、将来何をやりたいかが分からないまま卒業してしまう人が多いの。

だから、在学中に自分のやりたいことのために行動しないと、4年間ただ学問を学んだだけで終わってしまうよ、と言われてハッとしました。

 

私も正直学校に入ること、コンクールに出ることを目標にしていたから、入学後すぐ何をすればいいか分からなくなった時期があって。

声楽は一般的に実るのが遅いと言われているので、なかなか本番に出れないことにすごく不安がありました。

 

先輩はそんな悩みを抱いていた私に気づきを与えてくれたの。

大学にいると外の世界が分からないし、同期の仲がすごく良かったから、この日常がずっと続くと思っていたけど、社会の第一線で活躍してる人からもらった言葉が、私の在学中の過ごし方を変えるきっかけになりました。

 

 

 

 

 

ー先輩の言葉を受けて、行動の変化やチャレンジしたことはありましたか?

 

ー先輩からのアドバイスがあった頃、私には漠然とミュージカルに出たいという思いがありました。

そこで、当時好きだった人がミュージカルサークルに入ったのを追っかけ、私もミュージカルサークルに入ったの。

それまでは、自分の声だとミュージカルは無理かと思って挑戦できなかったんだけど、先輩の言葉に背中を押されました。

 

ただ、コネもつてもないから、とりあえずグーグルで「ミュージカル オーディション」と検索して、片っ端から応募しました。

数々のオーディションを受ける中で、今の事務所の社長さんからオファーをいただいて。

徐々に他の事務所さんからのオファーもいただくようになり、舞台に出ることが増えていきました。

めぐり合わせに恵まれた結果、今に至ります。

 

ー活躍の裏側には多くの人とのつながりがあるのですね。

早い時期から積極的に外の世界に出たからこそ得られたつながりがあると感じます。

 

ーそうですね、早めに学外の活動を始めたことが功を奏しました。

芸大だと毎年ね、卒業演奏会と学内演奏会にクラシック界隈の事務所がスカウトに来たりするのだけど、私の代はコロナ禍でそういった機会が全部なくなってしまったから、学外の活動が一本あったのは結果的に良かったと思うの。

 

周りでは、4年生になってから外部の演奏の活動広げたり、就活してから演奏会を企画しようと考えていた子が多くて、コロナ禍で諸に影響を受けてしまって。

この先も何があるか分からないから、本当に音楽をやりたいなら早めに動いて損はないと思います。

 

私の先生ぐらいの世代だと、音大を卒業後、院に進んで卒業後は留学するルートが一般的だった。

そして帰国後は、演奏する場が次々と提供された。

だけど、今は人生も働き方も自由に選べる時代。

ルートに乗って進んでも将来が約束される環境ではなくなったから、音大も変わらなくてはいけないのだけど、まだまだ従来のルートから抜け出せていないの。

 

たしかに、院に進めば2年間猶予が伸びるのはありがたいけど、その2年間で何が変わるかを考えみたの。

2歳年を取ると、私がいるミュージカルの業界だと大きなブランクになってしまうの。

平均年齢がすごく若い業界で、入れ替わり立ち代わりの早い世界だから、きっと2年遅かったら舞台立てていなかった。

今のベストか何かは分からないから、自分の判断を信じて前に進むようにしています。

 

 

 

 

 

 

舞台に役を降臨させる、役づくりの極意

 

ー今現在はどのようなお仕事や活動をされているのでしょうか。

 

ーミュージカル女優、舞台女優を中心に、モデルのお仕事などもやらせていただいています。

舞台の仕事を軸としていますが、Instagramで自身のスタイルやライフスタイルを発信していて、SNSを通してお声がけいただくブランドさんのモデルのお仕事もお受けしています。

まあ、特殊な体型なこともあってお仕事は限られてくるのですが、大きいサイズのブランドさんのお仕事があれば喜んでお引き受けしています。

 

ー現在はミュージカルの活動をメインにお仕事されているのですね。

小さい頃から歌って踊る仕事を目指してきた結果、ミュージカルのお仕事を選んだ理由は何ですか。

 

ーオペラもすごくやりたかったのですが、日本だとオペラの本数自体がすごく少なくて、若手が出られる舞台となると、さらに数が限られてしまうの。

それに私の場合は声的にソプラノになるので、オペラだといわゆるお姫様とか可憐な少女みたいな役が多いのだけど、そういった役よりも、笑いの方に走った役、おばさんの役、セクシーな役など幅広くやらせてもらえるミュージカルの方が自分のやりたいお芝居ができると思ったの。

 

「ミュージカルの世界って楽しい」と思うようになった頃、ちょうどお仕事のお声がけをいただいて、作品に出る機会にも恵まれ、これまで続けてきました。

 

ーオペラを学んできた石井さんにとって、ミュージカルのお仕事は新鮮な部分が多かったのではないでしょうか。

 

ー新しいことだらけですね。

オペラで10年間生きてきたものだから、ミュージカルの舞台にいざ立つとなったらすごく大変で。

 

ある作品でヴィブラートを一切かけないで歌うように言われたの。

それまでヴィブラートをかけて歌う唱法しか学んだことがなくて、オペラ以外で先生に就いたことがなかったから完全に手探り状態でした。

 

周りはミュージカルをやりたくてミュージカルコースを出た子や、ミュージカルアカデミーを出た方ばかりで、音大卒の私に何ができるのだろう、とすごく思い悩んだ時期がありました。

悩みながらも、自分が舞台に立つ意義を演出家さんと考え、私だから創れる舞台を目指そうと頑張りました。

 

ーオペラにはないミュージカルならではの唱法を身に付けることが必要だったのですね。

 

ーミュージカルだとマイクを使って歌唱するので、オペラの発声をすると浮いてしまうの、一人だけ。

オペラは音が取れて、大きい声で歌えて、しっかり高音が鳴れば良かろうという世界。

 

一方のミュージカルは歌詞に嘘偽りなく、役の心情で歌えているかどうかや、演じるパートに合う声質を整えられているかが重視されます。

オペラでは要望されなかったことをいくつも処理しなくてはいけなくて。

 

だからこそ面白いです。

大変ですけどね。

 

 

 

 

 

 

最近は一つの作品に出ながら、次作品のオーディションを同時並行で受けていて、一公演に出演し終わった後に別作品のオーデション行ったりする生活を送っています。

そんな中でも、発声の軸はオペラにあるので、オペラの発声をして喉の疲れを取ってあげることを大切にしています。

喉をニュートラルな状態に戻してあげるために。

 

ーミュージカルでは歌唱力だけでなく演技力も大事ですよね。

テレビでは俳優さんがいわゆる役作りを行う話を聞きますが、石井さんは役作りのために何かされていますか。

 

ー私は舞台に出る直前まで自分でいるタイプなんですよ。

ふざけたりしていても、いざ舞台に出ればパッと切り替わるタイプ。

その切り替えを舞台の上で降臨させるために、役のイメージを膨らませられることは可能な限り全部体験します。

役になり切るため。

100パーセント役に入りたいから。

 

オペラをやっていた頃、受験の課題曲でラ・ボエームというオペラでミミを歌ったことがありました。

ミミはお針子さんなので刺繍を学んだの。

そうしたら手は疲れるし、首も痛いし、目も疲れるのに全然作業が進まなくて、それはそれはしんどかった。

でもミミの気持ちを疑似体験できました。

 

これは余談だけど、バーレスクダンスというとてもセクシーなタイプのダンスをやらせていただいたときは、とにかく都内にある色々なバーレスクのお店を見に行きました。

お店のお姉さんにお話を聞いて、舞台に出るまで何をして過ごすのか、楽屋で何を考えているのかを知るの。

 

「リップ塗って、もう一回リップ塗って、つけま直したらもう一回リップ塗って」と聞いた時は「めちゃくちゃリップ塗るやん」と思ったの((笑))。

でも私も真似てリップを三度塗りしてみると、たしかに舞台に長時間立っていたり水分を取ったりするから、それくらい塗らないと口紅はすぐ取れてしまうことに気づきました。

 

 

 

 

 

 

今のは極端な例だけど、ミュージカルでもオペラでも、実在した人物を演じるときは自伝を読み、架空の人物を演じるときは、その役と対話して役を自分の中に落とし込んでいます。

できるだけ役に近づきたいから。

セリフや演技が自分の中に落とし込めていないとお客さんには絶対伝わらないから、役の一番の理解者になるために、自分と似ている部分は一致させ、自分と対照的な部分はその感情や行動に至る過程を整理した上で舞台に立っています。

 

海外の作品だと、そもそも日本人には分からない文化や考え方、宗教的な違い、育った環境の違いに対峙します。

そういった複雑さを咀嚼して、表現するのが私たち演者。

だから、とことん向き合わないと。

 

 

 

 

 

 

見てくれる方の人生のきっかけに。舞台に立ち続ける原動力とは。

 

ーお仕事柄、人との関わりが多い印象ですが、人と関わる上で大切にしていることはありますか?

 

ー最初から自分は自分でいること。

というのも、私って外面はこの通り結構いいですけれども、あまり嘘をつけなくて。

芝居をする人としてどうかと思いますけど、嘘がへたくそで何でもすぐ顔に出てしまうし、嘘をついてもすぐばれてしまうの。

 

ならば最初から「私はこういう人間です」と素を出してしまおうと思って。

嫌われる人にはすごく嫌われるのですが、好いてくださる人はすごく好いてくださるから、万人受けは狙わず、好きでいてくれる人を大切にしようと思っています。

私のことを嫌いな人に好きになってもらおうと自分を取り繕うより、好きだと思ってくれる人にもっと好きになってもらう方が幸せな生き方ですよね。

 

ー石井さんの生き方にもつながる部分ですね。

お仕事をもらうとき、相手が自分のことをあまり好きではないと感じたときでも、わざと好かれるように接したり、相手に合わせたりすることはないのですか?

 

ーないです。

それをしてしまったら、もう自分ではなくなるから。

 

たとえばモデルのお仕事でも、Instagramに載せている写真を見たブランドさんから、私の世界観がブランドイメージと合うからとお声がけいただき、お仕事につながることが多いです。

 

私は歌が特段上手いわけでも、芝居やダンスが得意なわけでもない。

顔はかわいいけど((笑))。

すごく美人かと言われたらそういうわけではない。

特段秀でた部分のない私がこの通りぶっ飛んだことができるのは、石井千賀であるという付加価値があるから。

 

 

 

 

歌えるだけでなくて、この見た目とキャラクターと喋りがあって、いたら場が明るくなる。

そんなありのままの石井千賀を捨ててしまったら、歌えて芝居ができるただの女になってしまうと思うの。

誰かに受け入れられるために自分を捨てるくらいなら、ありのままの私を拒否された方がまし。

明るいデブを探していると聞けばいつでも手を挙げられるように、生きています。

 

ーミュージカルの道を貫き通すのは簡単なことではなかったかと思いますが、将来への不安や葛藤に負けず前に進めたモチベーションは何でしょうか?

 

ー日々苦戦し、もがきながら、この世界でどうしていけば良いか死ぬ気でトライしています。自分でもまだまだどうなっていくかわかりません。

でもやはり、いいご縁をつないでくださった方や、在学中から応援してくれているファンの方がいらっしゃるから頑張ることができます。

 

もう止めたいと思っているとき、ファンの方からいただくファンレターやメッセージが心の支えになるんです。

「出会ってくれてありがとうございました!」

「千賀さんを見ていると毎日お仕事頑張ろうと思います!」

「千賀さんみたいな人になりたかったです」

そんな言葉に、私のことを見てくれている方がいるんだと勇気づけられます。

 

何より嬉しいのは、たとえわずかでも誰かの人生のきっかけになっていると感じるから。

「とりあえず明日一日、仕事を頑張ろう」

「音大を受けよう」

「芸大に挑戦しよう」

そんな日々の些細な場面や人生の選択の場面で、前に進むきっかけの一つになっていると思うと、私ももうちょっと頑張ってみようと力が出ます。

 

 

 

 

 

 

いつか、応援してくれているみんなに私が大きくなったところを見せたい。

私が大きくなって、大きい舞台に立った姿を見て、石井千賀ちゃんがこんなに大きくなったんだから、自分も頑張ろうと思ってほしいから。

それが私が舞台に立ち続ける理由です。

 

ーファンの方々の存在が石井さんの原動力になっているのですね!

 

ー本当に心強い。

心からありがたいです。

 

人生における幸せの定義とは死ぬまでイシイチカでありたい。

 

ーお仕事や人生について今後の夢や展望があれば聞かせてください。

 

ー幼い頃からの夢でもありますが、歌を始めたきっかけであるディズニーと関わりたいです。

作品を演じることにこだわらず、ディズニーのパークのお仕事であれ、キャラクターの声のお仕事であれ、どこかでディズニーのお仕事に携わりたいです。

 

実は私、ミュージカルの世界に固執はしてないの。

今はたまたま表現する場が舞台の上というだけであって、モデルを始め自分を発信する場は限りなくあると思う。

 

どんな場であろうと、石井千賀という表現者であること。

それが私の軸。

だから、いずれ立つ場所、住む世界が変わったとしても、死ぬまで石井千賀でありたいと思います。

 

 

 

 

 

 

あと、子供がほしいです((笑))。

90歳くらいのおばあちゃんになったら、さすがに舞台には立っていないでしょ。

舞台を離れた私にとって幸せの定義は一体何だろうと考えたときに、人生を振り返って自分の愛する人や息子、娘、孫がいて、みんなが幸せなら私は人生幸せだったと思える。

きっとそうだと思うの。

 

 

 

 

 

 

ー最後に、音楽の世界を志す音大生に向けて何かメッセージをいただけますか。

 

ーやりたいことは自分からやってみてほしい。

大学生でいる間は大抵のことはミスをしても許されます。

ミスを恐れてトライせずにチャンスを逃してしまったら、きっと後悔すると思います。

 

私の周りにも一歩踏み出せなかったことをずっと後悔している人がいっぱいいます。

一生の後悔ではなく、一瞬の失敗をためらわず選んでほしい。

大学生のうちにやりたいと思うことはトライして、未来の可能性を巻き起こしていってください。

 

ーありがとうございました!

 

伊藤菜実
広島県出身。 東京音楽大学音楽学部音楽学科器楽専攻トランペット4年在学中。 3歳から音楽教室に通い、ピアノとエレクトーンを始める。 12歳で吹奏楽部に入り、トランペットを始める。 趣味は映画鑑賞、オペラ鑑賞、野球観戦。
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