2021.1.13

チャンスは自ら掴む!音楽家として生きるということ

チャンスは自ら掴む!音楽家として生きるということ
垣本 拓海

兵庫県姫路市出身
バークリー音楽大学 ジャズ作編曲科/ピアノ演奏科卒業
自身の演奏・作曲活動に専念する傍ら、ボストンの歴史ある教会の専属ピアニスト、またボストンバレエ団、ボストン音楽院にて伴奏者もつとめている。

音大生が自身のキャリアを考えるために、音大生自身が音大卒業後のキャリアについてインタビュー。

今回のゲストはバークリー音楽大学でピアノを学び、アメリカでピアニストとして活動する垣本さん。

留学を決意したきっかけから、プロとして活動する極意まで、たくさんお話しいただきました。

 

 

 

師匠の一言でバークリー音楽大学を目指す

 

 

-音楽大学を目指そうと思ったきっかけを教えてください。

 

ジャズピアノの師匠に背中を押されたことがきっかけでした。

それまでは仕事として音楽を選ぼうとは考えていませんでしたが、師匠から「バークリー行ってもっと勉強したらどうや」と背中を押され、考え始めた感じです。小さい頃から絶対音楽家になりたいとか、ピアニストになりたいと思っていたわけではありませんでした。

 

師匠である小曽根実先生の息子さんは、世界的ピアニストの小曽根真さんで、真さんもバークリーを卒業されているんです。もしかしたら、師匠は軽い気持ちで言った事だったのかもしれませんが、僕にとってはすごく大きな一言でした。家がお金持ちなわけでもないし、海外留学なんて自分にはまったく無縁なことだと思っていたんです。

 

僕は元々、高校の国語の先生になろうと思っていたので、高校2年生の終わりまでは教育大学への進学希望を高校に提出していました。それが高2の終わりに突然、「ピアノで海外留学!」って言い始めたわけですから、高校の先生達も「今更何を言ってるんだ?」みたいな感じでした。(笑)

 

 

-ご両親は留学に賛成だったんですか。

 

そこはすごく感謝しているところで、両親には反対されませんでした。

音楽でお金を稼ぐことは難しいって、みんなが知っていることじゃないですか。でも、学費や滞在資金などについて自分でちゃんと考えてクリアできるんだったら、自分が本当にやりたいと思うことをやりなさいと、音楽の道に進むことは反対しないと言ってくれました。

 

ソロで演奏する垣本さん。素敵です。

 

 

夢のためにアルバイトで資金をためる日々

 

-留学までの期間でどのような準備をされていましたか。

 

バイト三昧でした。演奏はあんまりしていなかったんですよね。

高校生の時にジャズピアノのレッスンを始めた時は、両親にレッスン代を出してって言いたくなかったので。両親から何か言われたわけではなかったんですが、自分がやりたいと言い出したことなので、自分でお金を払うのが当然だろうなと思っていました。

そこで高校の先生にアルバイトの許可をお願いして、最初はハンバーガーショップでバイトを始めました。それから家の近所にあったイタリアンレストランでも掛け持ちでアルバイトをして。高校卒業からバークリーに入学するまで1年間は日本にいたんですが、その間は100円ショップと個別指導塾の先生と携帯電話の販売もやっていました。

 

 

-金銭的な理由で留学を諦める方は多いですよね。

 

バークリーへの留学を決めてから改めて調べてみると、ものすごくお金がかかるというのが分かって。1年間で学費が400~500万円ぐらいかかりますし、さらに生活費や渡航費などを考えると、とんでもない金額になってしまうんです。

でも、くわしく調べてみると、バークリーは優秀な学生には奨学金を出してくれることがわかりました。最高で学費免除まであったので、頑張って練習して上手くなれば学費は免除になるなって単純に考えて。それでも足りないお金も、1年間必死にバイトをすればある程度は貯まるだろうと考えていました。

 

本当にやりたいことが見つかったので、そこに行き着くまでの努力はあまり苦にならなかったんです。もちろん、大変なこともありました。バイトで帰りが遅くなるのでそんなに練習もできないし、次の日も仕事行かなきゃいけないから朝早いし、大学に進学した友人達とはなかなか時間が合わなくて会えないしという感じで。

寂しさはありましたが、あんまり苦じゃなかったんですよね。「バークリーに行きたいからやっている」という意義を感じていたので。楽観的過ぎるのはダメだと思うんですけど、シンプルに考えたら意外とできるものだなと感じていました。

 

 

上達の極意は“耳”にあり

 

-どのようなきっかけでジャスピアノを始めたんですか。

 

ジャズを知るきっかけになったのは、中学生のころ、上原ひろみさんがテレビ番組に出ていたのをたまたま見たことでした。

その当時から上原ひろみさんってすごく有名な方だったと思うんですけど、ぼくは全然知らなくて。そこから上原さんについて調べて、色々な演奏を聴いて、「この曲弾きたい!」と思ったのが始まりです。

 

そこで楽譜を買おうと思って探したんですが、楽譜がない。「これはどういうことだ?」ってなって。(笑)

ぼくは即興っていう概念すら知らなかったくらいなので、全部即興だから楽譜がないんだと気付いたときは、本当にすごくショックを受けました。

 

楽譜はないけど、どうしても弾きたいと思ったので、中学の終わりくらいから自然と耳コピを始めたという感じです。放課後はすぐ家に帰って、自分が好きなレコーディング音源を毎日毎日聴いて、本当にちょっとずつちょっとずつ耳コピをしていきました。最初の曲は多分1カ月くらいかかったと思います。

 

 

-耳コピしてプロの方の演奏をまねるのが、ジャズピアノ習得の近道なんでしょうか。

 

色々な意見があるとは思うんですが、ぼくはジャズに限らず作曲を含めた音楽全般に一番大事なのって、“耳”じゃないかと思うんです。

例えばアンサンブルする時も、相手のやってることをすぐにキャッチ出来て、理解して、それに対して次にどんなことをしたらもっと面白くなるかを考える。それって“耳”で聴こえていることが始まりだと思うんです。

 

作曲についてもそうで、本当に一流の作曲家って楽器がないと作曲できない人たちじゃなくて、楽器がなくても頭の中で音楽が鳴っていて、ただそれを書き起こしてるだけだと思うんです。頭の中で音楽が鳴るというのは、結局はどれだけ“耳”がいいかという事だと思っています。

 

理論を先に勉強するというのもありだとは思うんですけど、ぼくはバークリーに行くまで、理論もコードもほとんど知りませんでした。スケールも、クラシックではよくメジャーとマイナーのスケールをやりますけど、それ以外のジャズで出てくるスケールについては全く知らなかったんです。でも、耳コピはしていたので、サウンドは知ってたんですよね。

 

 

-理論を知らなかったことで、留学中に苦労はありませんでしたか。

 

バークリーに入ると、最初に“プレイスメントテスト”というクラスの振り分けを目的にした実力テストがあるんです。語学力の面でも難しかったんですけど、理論やスケールなどを全く知らなかったので、一番下のクラスに入れられました。

仕方ないと思いつつ最初の理論系のクラスに行ってみると、「ト音記号を十回書いてこい」みたいな宿題が出て。(笑)すぐに学部長の所へ行き、自分が今まで耳コピした楽譜を見せて、「楽譜の書き方は分かります!」って交渉をして、コードやスケールから始まるクラスに移してもらったんです。

 

そこでも、苦労はありませんでした。理論は知らなくてもサウンドは分かっていたので、本で名前を覚えるだけだったんです。「あのピアニストがあそこで使ってたコードね。こういう名前だったんだ。」という感じで、すごくすんなり入って来たという印象でした。

あと、やはり時間をかけて自分で耳コピしたものは忘れないですね。耳コピをしながら、色々な発見があって、刺激になっているんだと思います。楽譜を暗譜したものって、弾く機会がなくなったらすぐ忘れちゃうんですよね、ぼく。(笑)

 

 

-耳コピをする時のポイントがあれば教えてください。

 

耳コピをする時に、音だけ取る人もいるんですけど、それはあまり意味がないと思っています。

例えば、“スイング”って、本によく書かれているのは「八分音符の三連符で、中抜きにして最初と最後を弾く」みたい内容だと思うんですよね。でも、本当はそんなのスイングじゃなくて、スイングって演奏家によって全然違うんです。そこも耳コピで勉強するべき事なんですよね。

 

ぼくが耳コピする時は、本当に全てをコピーするようにしています。タッチもそうだし、トーンもそうだし、アクセントがどこについているのかとか、スイングはどういうスイングなのかとか。完全にコピーする事が大事だと思っています。

それから、基本的にはピアノや楽器を使わずに耳だけを使って耳コピするようにしています。ここでも耳を育てるということと、頭のなかで音楽をつくるときの創造性や正確性を鍛えることを意識しています。

 

作・編曲家としても活躍する垣本さん。バンドの指揮もこなします。

 

 

世界中の音楽に刺激を受けた大学生活

 

-バークリーでは、どのようなことを学ばれたんですか。

 

バークリーの宣伝をするわけじゃないですけど、バークリーのおかげで作曲ができるようになりました。バークリーに行くまで、全く作曲をしたことはなかったんです。

 

ジャズを勉強し始めた頃に買って読んだ本の中に、“蛍の光”のコードが書いてあって、その上で「即興してみよう!」みたいな内容があったんです。本当にそれが出来なくて、最初のコードを弾いたら次に何を弾いたらいいかわからなくて終わりみたいな。どう進んだらいいかわからないし、自分には才能がないんだと思って泣いたことがあります。いま考えると経験も知識も何もなかったので「そりゃそうだろう」という感じなんですけどね。(笑)

 

バークリーの作曲のクラスでは、いろいろと決まりがある課題が出されました。長さはこれぐらいとか、こういうテクニックを使わないといけないとか。縛りがたくさんある中で作曲をしていかないといけないので、とても鍛えられたと思っています。

 

 

-バークリーならではと感じたエピソードはありますか。

 

バークリーはもともとジャズのスクールとして始まったんですが、いまは誰でもウェルカムな感じの学校になっています。ありとあらゆるジャンルの人が集まっているんです。クラシックの人もいるし、ポップスだったりロックだったり、インドやブラジルの音楽を勉強している人もいます。

それぞれジャンルの違う人たちがコラボレーションして、その中で新しいものが生まれてくるという環境が、バークリーの強みだと思います。例えば、練習室に行っても、隣から全然違うジャンルの音楽が聞こえてきます。聞いているうちに、「このビート面白いな」みたいな発見があって、そういうところから友達になったりもするんです。

 

自分が知らなかったような国からも、本当に世界中から人が集まっていて、それぞれ違う音楽をやっていて。それってよく考えるとすごい事ですよね。

日常的に本当に色々なジャンルの音楽が耳に入るので、演奏をするにしても作曲をするにしても、自分にはないアイデアなど何かしらの刺激を受けられる。それがバークリーの良いところだと思います。

 

 

-バークリーの卒業生は、みんな音楽を続けているんですか。

 

やっぱり日本と比べてアメリカには演奏家として取ることのできる仕事の数が圧倒的に多いですね。“ギグ”と呼ばれる単発の仕事はあちこちにありますし、パーティーでピアノを弾いて欲しいなんてニーズもたくさんあります。

音楽で生活できるだけのお金を稼ぐというのはもちろん難しいですけど、でも不可能ではないことが多いです。少なくとも、ぼくの周りの友人達は、ほぼ全員が卒業後も音楽で収入を得ていますね。ほとんど海外からの留学生なので、アーティストビザを取得して音楽活動を続けています。

 

 

 

 

ピアニストを続けるのは、お客さんに届けたいものがあるから

 

-アーティストとしてご活躍される中で、どの様な苦労がありますか。

 

これはもう、音楽で生きていく人ってみんな大変だと思うんです。

先日、音楽家ではないんですけどすごく仲良くしている方とお話しをしていて、「音楽でお金を稼ぐ必要がなかったらよかったのにね。」と何気なく言われたんです。音楽以外に生計を立てるための仕事があって、音楽は楽しみとしてできたらいいという意味で言われたのですが、改めて言われてみるとちょっと考えさせられましたね。

どの世界でもそうだと思うんですけど、特に音楽とか芸術の世界の難しいところは、一流を目指すには時間を費やさないといけないし、時間を費やすということは他にできることが限られてきますよね。綺麗事は抜きにして、ちゃんと稼いで生活していかないといけないので。

 

これからの時代って、いろんなことが変わっていくと思うんです。ピアノについてもすでに自動演奏もありますし、Spotifyや Apple Musicみたいなサービスを利用すればあらゆる音楽を簡単に聴くことができます。例えば、結婚式にしても今まではバンドを雇って生演奏をしていたものが、DJを雇うなんてケースも増えています。そりゃそうですよね。DJなら一人でなんでも“演奏”できるし、費用もセーブできるんですから。

 

時代が変化する中で音楽家として生きていくとなると、いかに“個性”を出せるかが重要だと思っています。まだ模索中で、明確な答えは見つかっていないんですけど、人と違う事で何ができるのか、本当にずっと考えています。

 

ぼくにはすごく好きなピアニストがいて、その方の演奏を耳コピするのが楽しいんですけど、楽しんで終わっていたらその先はないですよね。テクニックだったり、ハーモニーだったり、そのピアニストから色々と吸収して、その上で、吸収出来たものを使って自分らしさを出していく、ということを考えています。

自分らしさを加えて新しいものを出していかないと、どんなにすごい演奏ができたとしても、オリジナルがいる限りは勝てないですから。「オリジナルの方を聴けばいいじゃん。」ってなりますよね。音楽家にとって重要なのは、オリジナリティを出していくことに尽きると思います。それが一番難しいところでもあると思うんですけど。

 

クラシックでもそうですよね。即興ではないので、譜面に書いてあるとおりに弾いているのは、みんな一緒じゃないですか。でも、その解釈だったり、音色だったり、そういうところでオリジナリティを出すことのできる人たちが、みんなの心を掴んでいくと思うんです。ジャンルを問わず、どんな音楽でもきっとそうですよね。

 

 

-音楽をお仕事にされて、良かったと思うのはどんな事でしょう。

 

自分の演奏を聴いてくださったお客さんから、「良かった。」と言われる時が一番です。本当にこれに尽きるなと思いますし、これがあるから次も頑張ることができます。

全てのお客さんに好きになってもらうのは不可能ですが、自分の演奏を聴いて少しでも楽しんでもらえれば、誰かの心に少しでも響くものが演奏できれば、それだけで「音楽をやっていて良かった。」と思いますよね。

 

いまは新型コロナウイルスの影響で、演奏の機会がほぼ完全になくなっていて、やっぱりモチベーションを保つのが難しいところもあります。でも、また演奏ができるようになった時に、お客さんに「より良いものを届けたい。」と考える事で、いまはモチベーションを保つようにしています。

 

 

音楽のフィールドは、日本にとどまらず海外にも

 

-ソロピアニストとしても伴奏ピアニストとしても幅広くご活躍されていますが、どのようなスケジュールで活動されているのか教えてください。

 

今は新型コロナウイルスの影響で、本当にガラッと変わってしまいましたが、以前はほぼ毎日働いていましたね。

自分でコンサートを企画したり、どこかのイベントで演奏したり、知人に呼ばれて一緒に演奏したりと、不定期で演奏の仕事をしていました。

 

それとは別に、ボストン音学院・バークリーでの伴奏や、ボストンバレエ団でのダンスの伴奏など、毎週決まった時間にも仕事をしていました。他にも、週末は教会で専属ピアニストとして働いていて。

空き時間には、自分の作った曲のリハーサルをしたり、作曲活動をしたり、練習をしたり。そんな生活ですね。

 

 

-お仕事に繋がる人脈は、どのように広げていったんですか。

 

ぼくの場合は、バークリーでできた人脈が一番大きいですね。やっぱり、音楽家はどれだけ人脈があるかに尽きると思うので。一人では絶対に無理です。たくさんの人に知ってもらうためにも、自分から発信していることが大事だと思います。

いわゆる“ギグ”の場合は、ほとんどが人脈です。知り合いの音楽家から声がかかって、「こういう音楽家を探してる人がいるんだけど、どう?」といった感じで仕事が入ってくることが多いです。

 

他にも時々、音楽家を探してる人達が投稿している“電子掲示板”や“WEBプラットフォーム”をとおして仕事を取ることもあって、自分が引き受けられそうな投稿には積極的にコンタクトを取るようにしています。

あとは、生演奏をしてるお店があればコンタクトを取ってみるとか、自分で色々なところに売り込んだりもしますね。

 

 

-日本とアメリカでは、かなり事情が違うんですね。

 

ぼくが感じたのは、日本の生演奏を提供しているお店って、基本的には個人に仕事をくれないというところですね。お店と音楽事務所が契約をしているから、事務所に入らないと仕事がもらえないケースが多いんじゃないかと思います。

お店側にも「穴を開けられたら困る。」という事情があると思うんですが、事務所に所属しているとか、すごい賞を受賞しているとか、わかりやすい信用の裏付けがないと、どんなに上手くても見向きもしてもらえないという印象があります。

 

アメリカでも経歴が重要になるケースももちろんありますが、日本と比べると、基本的には肩書や経歴をあまり気にしないと思います。演奏動画を送って、気に入ってもらえれば仕事を任せてもらえる。どういう音楽家なのか、どういう音楽を演奏するのか、どんなレベルの演奏ができるのか、実力をきちんと見てもらえる印象です。

 

 

-音楽活動をするなら、日本よりも海外を拠点にした方がいいんでしょうか。

 

ぼくは日本で音楽家として生計を立てていたことがないのですが、日本で音楽家として活動をしてる友人たちから話を聞く限りでは、日本で音楽家として生計を立てていくのは本当に難しいんだと感じました。

ごく一部の人だけが成功していて、そのネットワークに入ることができれば少しは楽になるのかもしれませんが。無名の音楽家が音楽だけで生計を立てるのは、ほぼ不可能なんじゃないかなと思います。日本と海外では、音楽だけじゃなく、芸術一般に対する考え方が根本的に違いますよね。

 

ジャズに限らず、クラシックでもどんなジャンルの音楽でもそうですが、日本には生演奏が聴ける場所があまりないですよね。本当に音楽が好きな人じゃないと、わざわざチケットを買って、わざわざコンサートホールに行って、長時間座って演奏を聴こうとしないじゃないですか。ジャズやクラシックって名前を聞くだけで、“敷居が高いもの”という固定観念があるのかもしれません。

 

もっと気軽に生演奏を楽しめるお店があればいいんですけど、演奏者を雇うとなるとお金がかかるので、コスト面でもなかなか難しいんですよね。小さいジャズクラブやバーが、コロナウイルスが流行したこの数カ月間だけでも、いくつも閉店してしまいました。小さいお店だと、ギリギリで経営していたところも多いと思うんです。

 

どこかに足を運ばなくても簡単に音楽を聴くことができる世の中になって、生演奏を提供する機会は減っていると思います。でも、だからこそインターネットを使った“発信”はしやすくなっていますよね。そういう意味では新しいチャンスが広がった、という言い方もできるかもしれません。

 

 

-今後、挑戦してみたいことはありますか。

 

日本でのコロナウイルスの状況は、ニュースでちらほら聞くぐらいしかわからないんですが、まだまだアメリカでは厳しい状況が続いていて、規制も多いのでスタジオでレコーディングをしたりするのもまだまだ難しいです。ですので、リモートでのレコーディングなどいろいろな可能性を模索して、何らかの形で自分の音楽を発信していきたいと考えています。

 

コロナウイルスが流行してコンサートができなくなったことで、様々な演奏家がインターネットで音楽を配信していますよね。カーネギーホールが行ったライブ配信の記事を読んだんですが、実際にホールへ足を運んでくれるお客さんの数とは、比較にならないほど多くの方が視聴していたそうです。

それって、「いかに人が音楽を欲しているか」という事だと思うんです。このような厳しい状況だからこそ、音楽家として自分にできることをやっていきたいですね。

 

 

チャンスを掴むには日々の積み重ねを大切に

 

-卒業後の進路を迷っている音大生に一言いただけないでしょうか。

 

日本の音大生が、卒業後にどのような進路を選ぶのかあまり知らないんです。

人気のある就職先とか職業ってあるんですか。

 

 

-ピアノを専攻していた学生には、やはりピアノの先生が人気です。

 他には、学校の“音楽の先生”を志望する方が多いんですが、かなり倍率が高いです。

 音楽は趣味として続けたいという学生は、一般企業に就職しています。

 

ピアノの先生も学校の先生も、どちらも素晴らしいなと思います。というのも、先生って本当に大変な仕事だと思うんですよ。

ぼくも何人かプライベートレッスンで教えているんですが、教えるのって本当に大変だし、難しいですよね。教えるのが本当に好きだったり、やりがいを持っていないと、影響を与えられる先生にはなれないと思います。

 

仕事として“先生という職業”をこなすことはできるかもしれませんが、本当に生徒にとって意味のある先生になることはとても難しいことだと思うんです。だからこそ、教えることが好きな方が音楽の先生という道に進むことは素晴らしいことだと思います。

音楽を仕事にしないとしても、音楽を続けるために企業に就職するっていうのも素敵なことですよね。自分の好きな音楽を守るためですから。

 

 

-日本の音大生が海外に出ることについては、どうお考えですか。

 

すごくいいことだと思います。

ぼくはボストンに来て丸6年経つんですが、いろいろな繋がりができて仕事をもらえていることは、本当にありがたいことだと思っています。やっぱり長い期間をかけて地道に人脈作りをする必要はあるので、いきなり来て仕事をとるのは難しいとも思いますが、日本の中だけで考えるよりは、チャンスが広がるんじゃないでしょうか。

 

ぼくは、躊躇わずにコンタクトを取ってみるという事を、いつも心がけているんです。「自分にはまだ知名度がないし。」とかいろいろと考えてしまいがちだと思うのですが、こちらからコンタクトを取ってみると、意外とちゃんと話を聞いてくれて返事をもらえることもあります。そこから仕事に繋がったこともありますし、すごく有名な演奏家のレッスンを受けたこともありました。誠意や熱意をもって連絡すれば、相手に伝わるものはあると思います。

 

演奏したい場所とか、一緒に演奏したい人とか、そういうものが見つけられたら、迷わずにコンタクトを取ってみることで、チャンスに繋がる確率は上がりますよね。もし、連絡をしてみてダメでも、Noと言われるだけで、自分に失うものはありません。

 

高校生の時に音楽の先生に言われた言葉を今でもよく考えています。チャンスってだいたいみんなに平等にくるけれど、チャンスが来た時に気づくことができるよういつもアンテナを張っていること、そして、チャンスが来た時に掴むことができるだけの実力があることが大切だと言われました。これは今でも常に意識していることです。

 

だから、日々練習したり、作曲したり、いつでもちゃんと最高の仕事ができる状態に自分を持っていった上で、少しでも機会があればすぐに自分から売り込んで行く。

“数打ちゃ当たる”ではないですけど、日々の積み重ねと行動がなければ当たりませんから。

伊五澤 紗花
岡山県出身。 6歳からピアノを始める。洗足学園音楽大学ピアノコースのアドバンストポピュラースタディクラス4年に在学中。 趣味は音楽ライブ・フェス観戦。
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