ピアニスト。名古屋市出身。
東京藝術大学ピアノ専攻を経て、同大学院修士課程室内楽科を首席修了。
現在、新国立劇場オペラの音楽スタッフ、藤原歌劇団団員。
企業メセナ活動振興やアーティスト支援を目指して、2020年12月にSHALONE株式会社を設立。
演奏活動をメインとしながら、コンサート企画制作や企業メセナの推進を行っている。
音大生が自身のキャリアを考えるために、卒業後のキャリアについて音大生ならではの視点でインタビュー。
今回のゲストは、東京藝術大学を卒業後、ピアニストとして演奏活動をしながらSHALONE株式会社を設立し、企業メセナ活動振興やアーティスト支援の場でも活躍する水野彰子さん。
演奏者と経営者のパラレルキャリアを両立する彼女の姿は、私たちに得意を伸ばす働き方のヒントをくれました。
ピアノに向き合う時間は、終わりがない楽しみ。
-水野さんのピアノを始めたきっかけや幼少期について、お聞かせください。
ヤマハの幼児科で、ピアノを始めました。その頃、自宅にあったバイエルを二日で全部見終わって、母はもしかして才能あるのかな?と、思って当時の先生に相談したみたいで。そこで、先生が幼児科から飛び級でジュニア専門コースに入ることを勧めてくださったそうです。
祖母も、私と同じ音楽高校に通っていたので音楽に対して理解を示してくれていて、音楽の道を後押ししてくれました。
-私もヤマハ出身で、コースも同じです!作曲の勉強もしますよね?
はい!ヤマハでは移調やソルフェージュのようなこともやったので、力が身についたかなと思いますね。カリキュラムも私に合っていて、宿題に追われ大変でしたが、好きでやっていました。
そのままヤマハを続ける中で、音楽大学など将来を考えるのであれば、音楽高校の先生に就いた方がいいかもしれないと助言をもらいまして。
小学五年生の時、父の従姉妹に、音楽高校の先生を紹介してもらって、もしその先生に習うなら音楽高校に行く進路が見えてくるってことで、自分でも幼いながらに進路を考えなきゃいけなくなって。
今まで楽しくやっていたのが、本格的な道に進むとなると怖かったのですが、ヤマハの先生もオススメしてくれたので、新しい先生に就くことに決めてレッスンが始まりました。
その後中学2年の時から、その先生からの紹介で、名古屋にいらした東京藝術大学(以下「藝大」といいます。)の先生に月に一度で見てもらって、道が開いていきました。
-小学五年生での音楽高校進学の決断は早いと思うのですが、挫折や辛いと思うことはなかったのですか?
実は、音楽高校に進学することは、受験ギリギリまで実感がなかったのですが、みんなが遊びに行く中、練習のために我慢したりとか…葛藤はありました。ピアノのレッスンの前にテニスのレッスンを入れたりするほど運動にも全力で、先生に指が動かない理由がバレた時は相当呆れられました(笑)
-そうですよね。それでも、ピアノを続けられた原動力ややりがいはどんなところにあったのでしょうか?
結局、ピアノが好きなのが根本にあったのだと思います。
練習を始めるまでは面倒でも、始めたらずっと座っていました。終わりがないからこそ楽しくて、自分はピアノが合っているのかなと何となく思っていましたね。
終わりのない探求や思うように演奏できた時の楽しさにやりがいを感じていました。
あと、特にソルフェージュが好きでしたね。音が一つ一つ導かれて楽譜になっていくというのがすごく面白かったです。
そう感じられたのは、ヤマハのおかげでもありまして。
楽典を授業で受けると自分ができる方で、それが嬉しかったですね。自己肯定感や、できる!という達成感が蓄積されて自信に変わっていき、音楽高校・音楽大学を目指す決心も固まっていったのだろうと思います。
-終わりがないピアノの研究にやりがいを感じられていたのですね!そのような思いから、受験に向けて進んでいったのですね。
大学受験に向けて、自分の課題が明確に分かっていたので、基礎をじっくりと見直して自分の技術を身につける時間を過ごしました。
スケールから指の使い方まで、本を読み漁って、ひたすら研究をしていましたね。
模索の中で気づいた、室内楽との相性の良さ。
そうして自分に向き合った結果、紆余曲折がありながらも藝大に受かりました。
入学後、実はソロの演奏があまり向いてないことを自覚し、結構辛かったのですが、大学四年生で初めてやった室内楽の経験がすごく大きな財産となり、「楽しい、今後仕事にしたい!」と思ったのです。
後ほどお話しますが、そのときの経験を経て、大学院は室内楽科への進学を決心したのです。
-室内楽の勉強のどのような部分に魅力を感じたのでしょうか?
昔から、楽譜を見て弾いて音楽的分析をするのが好きなんです。けれどそんな分析も、自分だけの考えでは行き着けない領域があって、室内楽を通して共演者からアイデアを学べたのも魅力の一つでした。
私が分析好きなのは、性格でもあると思うんです(笑)
何でも知りたくなって答えを出すまでずっと考えてしまうところがあります。
ソロだと暗譜をしなくてはならないので、本番中演奏しながら分析面を考えるのは、私には難しい部分もあって。
一方、室内楽ではどちらかというと練習のまま本番に出せるのですよね。深く分析しきれることが魅力の一つでした。
そして、私は人が好き。人と関わるのが好きだから、友人とリハーサルをする時間はやり甲斐があって、本番はもっと楽しくて。
ソロで培ってきた技術が活かされることが多く、今までやってきたことがそこで繋がった気がして、自分はピアノをやってきて良かったなと初めて思えた気がしました。
トリオでは、バイオリンとチェロの子では考えていることが違って、自分が知らないことも多かったので、新しい学びがとても興味深かったです。最初は、バイオリンの弓の音が出るタイミングも分からなくって。
高校から歌の伴奏はよくしていたけれど、歌の感覚ともまた違いました!
-水野さんがこれまで得意とされていた分析のスキルが、室内楽を通して更に磨かれていったのですね。
そうですね。その中で、コンサートのための練習だけでは室内楽の本質は分からないなと思い、更に勉強するために室内楽科の院に進みました。
大学院に進学してからは、バイオリンの先生とずっと組むことができて、合わせをしたいと言ったら駆けつけてくださったり、とても恵まれた環境でした。
室内楽科ではバイオリンとピアノの二人の教授にレッスンを受けることができるんです。バイオリンの教授のレッスンでは、ピアノの先生が言わないことを言ってくださるというか、ピアノでは技術的に不可能に思われるようなことも、他楽器の先生だからこそ技術面に囚われず、より音楽的な理想に近い指摘を受けることができました。
ピアノの教授は私が憧れつづけている方で、室内楽もソロも世界トップクラスのピアニストにレッスンを受けることができ、最高の学びを頂いた2年間でもありました。
ご指導を受けて本当に落ち込むこともありますが、できなかったことができるようになる実感があったので、学ぶことへの意欲が一番高かった時期ですね。
-大学院時代、将来はどのように考えていたのですか?
室内楽と同時進行で、声楽の伴奏をずっと続けていて、今後はこの二つを軸に演奏活動をしていきたいと大学院2年間の中で考えていました。
一方で、2年間を過ごしているうちに、演奏面での学びとしては、レッスンで言われることも同じになってきたかなという実感がありました。
修士2年の途中で、博士課程進学のことを教授に相談してみると、「あなたがやりたいのは演奏活動でしょう?今後、研究ではなく演奏をメインにしたいならとにかく現場での実践しかない。演奏効果を高める研究は学校を出ても一生できる。」と教授に背中を押してもらい、2年で修士から出ることになりました。
人との繋がりと縁を通し、演奏で生きる道を確立。
-卒業後の演奏活動は、主にどのようなことをされていたのでしょうか?
学生時代から行っていた演奏活動のご縁が続いていたり、そこから伴奏依頼が来たり、と派生していった感じです。
学生時代の話に戻るのですが、アルバイトでアマチュア合唱団の練習ピアニストとブライダルのオルガニストとピアニストをやっていまして。
アルバイトをする中で、自分でお金を作るのは楽しいなと思いましたが、やはり音楽を軸にしたかったので、音楽しかやらないようにしていました。
大学院1年生の時に、東京大学OBの合唱団の伴奏をして、客員の指揮者である新国立劇場の方に認めてもらい、そのご縁から新国立劇場のピアニストになりました。新国立劇場では、オペラの稽古ピアニストや公演のピアニストとして地方を回っています。
アマチュアの合唱団にたくさん行ったのも含めて、学生時代の経験が活かされたのが良かったかなと思います。
-学生時代からたくさん機会を持っていらっしゃったことが卒業後のお仕事に繋がったのですね。
新国立劇場のピアニストは、なかなかオーディションがないので、奇跡のようなご縁でした。こうしたご縁に恵まれたのは、藝大時代の仲間や先輩後輩のおかげとも言えます。
改めて、藝大に入って一番良かったのは素晴らしい音楽家の仲間と出逢えたことだと思います。大学時代に、友人をたくさん作れたので、演奏機会も自然に増えていきました。特に、声楽の友人がすごく多くて、社会に出たばかりの時は、友人の伴奏をしたのをきっかけに新しい方々とつながり、依頼をいただいたりしました。
-演奏のご依頼は、信頼があってこそですよね。
それだけは、常に一生懸命でした。共演者を絶対に裏切らない演奏をしようと心に決めて、みっちり練習をやっていました。
自分のことはどうでも良くても、人のこととなると責任がありますからね!
-数々の曲を両立されながらも一つ一つの「責任」を果たすことで、演奏活動の幅を広げたのですね。
活動を続ける中で自然にレパートリーも増えて、社会に出たときも、頼まれた曲は知っていることが多かったので、前日に頼まれても大丈夫!と言えるようになっていきました。学部の頃から7~8年は伴奏の仕事を積み重ね、同じ生活をしていたかもしれません。
働きたい気持ちはすごくあって、どうやったらお金を作り出せるかとか、自分で生きていくにはどうしたらいいだろうかとずっと考えていました。
その結果、自分が得意なことでないと自信を持って世の中に出せないということに気づいて、そうなると、やはり私の軸は声楽の伴奏だなと思いまして。
得意なことをずっとやり続けるという結論に至りましたね。
クラシック業界の盛り上げに「起業」で挑む。
-演奏活動をされながら、コロナ禍に入ってから起業をされたと拝聴しました。パラレルキャリアに挑戦されたきっかけについて教えてください。
起業の一番の理由は、私自身が演奏のお仕事を受ける中で、大きい企業を相手に個人で取引することに難しさを感じていたこと。そこで、営業先を広げたいと思い会社にしました。
私が個人としてやり取りするよりも、もっと大きなことをするためでもあります。小さい会社でも、法人としての名前があるだけで相手は頼みやすくなるので、起業して良かったですね。
また、起業の大きな理由として、「クラシック」という音楽を広げたいという思いがありました。身の回りで感じるのは、コンサートを開いてもお客さんに来てもらうのはすごく難しいということ。お金を出してホールに足を運んでもらうことは、ハードルが高いことですよね。
そして、音楽家や芸術家はすごく大事な職業なのに、あまり大事に思われてないかなと感じることもあって。
私は、芸術をもっと発信していきたくて。子供たちにとっては特に、芸術って身につけば身につくほど脳に良いものだと思っているので、子供たちにも「クラシック」を伝えていくことも起業の理由でした。
-「芸術は脳に良い」というお言葉にハッとしました。たしかに様々な刺激があると感じます。
そうですよね。研究にもあるのですが、演奏することってすごくクリエイティブな作業じゃないですか。楽譜から、情報を読みとって自分の中で処理して、みんなに見せるにはどうしたら良いか考える作業を常にしている。それができることはどのジャンルにおいても活かされると思うのです。
仕事にしても、いただいた仕事を受けて返すだけではなくて、何かクリエイティブな要素を加えることで付加価値が生まれますし、仕事はクリエイティブにやった方が楽しいと思います。
そういった要素も含めて、芸術は脳にも良いものだと感じています!
-ピアノ演奏の持つクリエイティブな面を日々実感している演奏家だからこそ発信できることがあるのだと感じました。
何でも楽しくないと続かないですよね。芸術家はクリエイティブな作業が得意だと思うので、芸術を通じてその楽しさを社会に発信できたらと考えています!
-今の会社で取り組んでみたいと思っていることはありますか?
起業については、子育て中でまだバリバリ進められていないけれど、若い演奏家の中にはとっても素晴らしい人がたくさんいるから、その人達がちゃんと活躍していけるようなコンサートを作りたいと思っているところですね。
クラシックの業界は小さいから、大きくしないと仕事の取り合いになってしまう。それでは何の発展性もないから、やるなら皆で手を取り合っていけたらと思うのです。
音楽家やスタッフみんなで協力してクラシック業界を盛り上げたいですね。
-クラシック業界がもっと活性化していったら素敵ですね。
私は「メセナ」という言葉を有名にしていきたいです。「芸術」を企業の支援を使って盛り上げるという意味があって、企業にとってはビジネスで得た資金で社会貢献ができるというメリットがあります。
例えば、企業が根ざしている土地でコンサートを開催して、有名アーティストが地方のホールに来たりとか、その地域に住むパパママ世代向けに企業主催の無料親子コンサートがあったら素敵ですよね。
その実現のためにも、色々な方面の友人を作りたいと思いますね。1人ではどうにもならないので。
-会社を立ち上げてからは営業演奏プロデュース全てをご自身で担っているのですか?
そうなんです、めっちゃ大変で(笑)
立ち上げた時に第一子が生まれたから、まだやりたいことの百分の一もできていないかな。
-伴奏や演奏活動を両立しながら経営を行っているのですか?
そうですね。昨年は高崎音楽祭で、22人の声楽家と指揮者と私で演奏会を企画制作しました。
自分一人で主催や制作をこなすのはさすがに厳しくて、音楽家の知り合いにマネジメントや連絡事項のお手伝いを頼んだり、舞台関係は新国立劇場でお世話になっている方の会社に舞台監督を頼んだり、色々な方にサポートしていただいて実現しましたね。今年も10月16日に高崎音楽祭での再演があります!
フリーランスで”得意を伸ばす”働き方を実現。
-お話を伺っていると、ご多忙な中でも前向きなお姿が印象的です!
今は特に二人目の子が生まれて、体力的にも精神的にも子育てによりエネルギーを使う分、仕事ができていることがまず楽しいという気持ちが大きいからですかね!
働くことが好きな私にとっては仕事できないことは本当にきつくて。やはり何事もメンタルが大事だと言うのは本当だと感じます。
-メンタルを壊さないための対策はありますか?
元々の性格もあると思うけれど、何があってもあまり振り返らない!ああしておけば良かったなとか全く考えないです(笑)
周りから「おい!」って思われるかもしれないけれど、振り返っても意味がないというか、失敗をしたことや小さいことをクヨクヨ悩むのは勿体ないから、次の日には切り替えるようにしています。
私の中では、人間関係がメンタルにとって一番大切かな。近い人と揉め事が起きるとすごく辛いじゃないですか。だから身近な人と仲良くしていたいなと思いますね。きつい時は、友達と会って発散して喋れば、また頑張ろうってなって!そうやって助けられていますね。
メンタルの明暗は常に紙一重で、誰しも前ぶれなく崩れることがあるから、常に気をつけようと思っています。特に、睡眠は絶対取らなくてはと。寝れば体調が良くなるので、しっかり寝るのを心がけています。 仕事中は相当集中しないといけないので。
-ご自身のことを理解した上で、自分に合った方法でメンタルを管理されているのですね。
フリーランスという働き方は、メンタル管理の面でも私に合っているんです。自分ができることは限られていて、苦手なことも分かっているから、得意なことを伸ばすっていうのを意識していますね。
音楽家同士が手を取り創造する未来を描く。
-今後のご展望をお聞きできますでしょうか?
今後はやっぱり、企業メセナ(前述)を実現して、若いアーティストにお金が回る社会を作りたいです。
今ある演奏機会をいただくだけではなくて新しく機会を作っていきたいです。そのために、今まで取引のない企業や、地方にある地域のホールにお話を持ちかけたり、幅を広げたいと思いますね。
-水野さんにお話を伺っていて音楽の力をすごく感じました。企画も演奏側もご経験されている水野さんにとって音楽とはどのようなものでしょうか?
私にとって音楽は、私が生きている証です。
大袈裟に聞こえると思いますが、音楽ができなくなったら私はいなくなるかもと思うのです。最近は練習しながらそう思います。
また、日常でのストレスや辛さとか悲しみがある時は、ピアノを弾いていると自分自身が癒されているのを感じます。それは作曲家の愛情を感じたり、出てきたその美しいメロディや和声に感動できるからです。そんな素晴らしい体験ができる音楽家でいることができて幸せです。
小さい頃から音楽が毎日あって、たまにそれが原因で辛かったこともありましたが、今気づいたら音楽やピアノは私にとってなくてはならないものになっていました。これからも音楽ができること、させてもらえることに感謝をして、大切にしていきたいです。
-なくてはならないもの、仰る通りと思います。大学生の自分に、今だからこそ伝えたいことはありますか?
「そのまま頑張れ!」と伝えたいですね。自分の信念を持ち続けてと。
-現役の音大生へのメッセージをお願いします!
今の大学生は、コロナ禍という大変な時期に学生生活を過ごしていて、友達と会うのも前と同じようにはできなくて、ストレスもすごくあると思う。大学の良いところである友達と会うことが制限されているのはすごく辛いと思うけれど、可能な限り皆と話してほしいですね。
音楽家同士が話すと、必ず何かが生まれると思うから、やりたい企画とか考えて自分でやってみてほしいな。演奏プラスアルファの大変さがあるけど、いつかそれはきっと「楽しい」につながるから。
rooootがやっている情報発信のように、社会イノベーションにつながる活動を演奏家自身がやることが大事だと思うのです。
-音楽家同士が話すと何かが生まれる、ハッとさせられます。まさに、クリエイティブですね。
音楽家一人ひとりが、これまですごいことをやってきている人たちだから、必ず何か持っているはず。だから、いっぱい喋って、アイデアを出し合ってほしいです!
音楽のことでもそれ以外のことでも、楽しい!と思えることを語り合って、実現してほしいと思います。応援しています!