宮城県出身。国立音楽大学鍵盤楽器専攻卒業、同大学院修士課程修了。roooot編集長。
現在、一般企業に勤めながら多様な活動を並行し、パラレルキャリアを歩む一人として毎日奮闘中。
最近、ちいかわにハマっている。
音大生が自身のキャリアを考えるため、様々な方にインタビューを行うrooootの活動。
今回のゲストはrooootの編集長であり、多様な活動を行われている中村このみさん。音大卒というアイデンティティを活かしながら、パラレルキャリアを歩む中村さんの素顔に迫ります。
専門性を高めた学生時代
-どうして音大に進んだのですか?
ピアノは3歳から始め、その頃から音楽が大好きでどこへ行くにもおもちゃのピアノを持ち運んでいる子供だったようです。
高校は、皆が国公立大を目指すようなところだったため、私自身も国公立大受験の準備をしつつも、心の中では音大に行ってみたいという思いがありました。
高校2年の時に、国立音大の学校説明会と無料のレッスンを受けられることを知り、レッスンを受けてみようと決めました。そこで時間の合間を縫ってショパンエチュードop.10-4を2週間で譜読みし、レッスンに臨んじゃったんです(笑)高校では周りに音大に行っている人もおらず、この時のレッスンは、音大の先生に演奏を聴いてもらえる初めてのレッスンでした。そしてレッスンを受けて、衝撃を受けました。
まず驚いたのは「ピアノってこんなに素敵な音が出せるの!?」ということでした。
そこから、私もこういう素敵な音が出せるようになりたい、もっとピアノを本格的に勉強したいと思うようになり、「音大に行くんだ」とその気になりました。
-音大に行くと決めた時点で、将来設計は見えていたのですか?
音大に行きたいと決心した時点ではまだ、ピアニストになろうなんて将来を考える余裕もありませんでした。一方で、音楽を極めたいという思いは、音大受験より以前からずっと持ち続けていました。それは、幼い頃から音楽が当たり前のように身近にあり、それだけ私のアイデンティティとして大きな存在となっていたからかもしれません。そんな音楽をもっと深く、広く知ってみたいと思うようになったことは自然のことだったと思います。
-音大に入学した時、どんな目標を持っていたのですか?
全然覚えていませんが、とりあえず周りに追いつけるように頑張る
と言っていたと思います(笑)
というのも、同級生は音楽高校上がりの人も多く、大学に入るまでヤマハだけだった私は、初日から知らないピアニストや作曲家の名前がたくさん出てきたり、「受験で何弾いたの〜」みたいな話しに出てくる曲も知らないものばかりで、緊張しっぱなしでした。みんなが喋っている言葉が宇宙語に聞こえる、という感覚でしたよ。
でも、それと同じくらいこれからたくさん音楽が勉強できるんだ、ここには音楽が好きな人がたくさんいるんだ、とわくわくしてたまりませんでした。
-学年が上にいくにつれて、考えが変わっていったことはありますか?
音楽が好きという気持ちで楽しんでいた1年生の時に比べ、
学年が上がるにつれて良い演奏がしたいという気持ちが強くなりました。
特にコンクールや試験など、演奏に成績がつき始めると、
楽しく演奏していた頃とは異なり、演奏に対してプレッシャーを感じるようにもなったんですよね。
本番での演奏経験が少なかったので、緊張に負けてしまうことも多くあって…。
その度にレッスンで身体の使い方を教えていただいたり、自分の練習の仕方を変えたりと試行錯誤していたことを思い出します。コンクール帰りの電車の中で、悔しくて1人で泣いたことは何度もあります。
大学3年の時、1学年約100人いる中の上位6人しか入れないソリストコースに入れたことをきっかけに、ようやく入学当時に感じていた、周りに追いつきたいというラインを一歩越えられたかなと思うようになりました。それと同時に、自分は将来、音楽を通して何かできるかもしれないと思うようになりました。自分の音楽に自信がついたんです。そして、音楽を自分のライフワークにしたいと強く思いました。本格的に自分の演奏を考えるようになったのはその頃からですね。
また、3年生の時にはベトナムからの留学生と時間を共にするようになり、自分の国とは違う視点に面白さや発見を見つけるようになりました。
本場を見てみたいという思いも強くなり、給付奨学金を頂いてウィーンに行くなど、
音楽を中心に自分の視野や世界が大きく広がったように思います。
–そういった経験は、中村さんにどんな影響を与えましたか?
まずは、外国の方と接することに抵抗がなくなりましたね。
今も仕事で海外の方と接する機会は結構あるんですが、その経験があるからこそ、外国の方とコミュニケーションを取る楽しさを感じます。
そして、資料の中でしか知らなかった作曲家の故郷や名曲が生まれた背景、クラシック音楽の本場を実際に目と耳で確かめることができて、「ああ、本当に生きていたんだな」と実感できました。実際に自分の足で訪れ、その場の空気感を全身で感じる体験はとても大切ですね。演奏すればするほど、作曲家が偉人に見えてしまうこともあったのですが、同じ人間であると感じた瞬間、音楽がより愛しいものに感じたりしました。
-4年間で常に心がけたこと、卒業する迄に達成したいと思ったことはありますか?
「勉強に終わりはない」
これはシューマンが音楽の座右銘という論評の中で言っている言葉なのですが、今もなお大事にしています。
安くない学費をかけて大学に通うのであれば、提供されているものは全て使い倒してやろう!と思うくらいには音楽に熱中しましたね。
「演奏依頼を、自信を持って引き受けられるようになること」を目標に、
演奏面はもちろん、知識面においても身につけることを意識していました。
-大学院に進むと決めた理由ときっかけは何なのですか?
大学院へ進もうと決めた理由は主に2つです。
1つは、純粋にもっと音楽を勉強したいと思ったからです。
音楽を深く学ぶには、明らかに4年間では足りない!もっと学びたいと意欲に溢れていました。
2つ目は、自分の専門性をより高めておかなければならないと感じていたからです。
何かを専門的に学ぶことは、自分のアイデンティティになると思ったんです。将来、自分が社会に出ていくことを考えると、「これが私の強みです」と自信を持って答えられる何かがほしかったんだと思います。
そんな理由から、自分の専門性として、音楽をもっと深めたいなと思うようになり、大学院進学を決めました。
-大学院で学べたこと、成果を挙げられた事は何ですか?
大学院の時は、大学外との繋がりを作ることを意識して、院を終了した後のことを想像しながら、わざわざ大学院に進学してまで学べることは何かを常に考え、結びつけながら授業に参加したりしていました。
理由は、大学で一緒に学んだ同級生達が社会に出て、模索している姿を知っていたからです。「大学の時もっと勉強しておけばよかった〜」という声を聞けば聞くほど、大学での学びの貴重さを実感していました。
大学時代の友人に会っては「今大学時代に戻ったらやっておきたいことって何?」とよく聞いていましたよ(笑)
例えば、自分が将来指導している姿を想像しながら講義のアジェンダをメモしたり、
論文もその時提出すれば良いものではなく、その後に繋がることを意識していました。
結果、卒業後のリサイタルで研究テーマだったシューマンの謝肉祭という作品を取り上げました。
学部時代と同じ過ごし方をしてはもったいないと思っていたんだと思います。
専門性を高めることはもちろん、自主企画の演奏会を開催したり、卒業した先輩とアンサンブルをするなど、その後の姿を想像して幅を広げた活動をしたことが、まさに今の私の姿に繋がるきっかけになりました。
–大学院で、自主企画公演や動画コンテンツ、起業など、演奏以外の活動を行う際に、どのようにしてその専門性を身につけたのですか?
まず周りの人たちがどうやってやっているのだろうと調べて回りました。つまり、何かに所属してスキルを学んだことはありません。
やりながら自分で道を探り、分からないことは専門の人たちに話を聞いて助けてもらいました。
社会性を見出した音大卒業後のキャリア
-今はどのような仕事、活動をしていますか?
現在は4つの仕事をしています。
1つ目は環境事業を行なっている一般企業の正社員としてフルタイムで仕事をし、訪問頂く企業様の研修などを担当しています。音楽とは全く違う業種をあえて選びました。
新卒で入社し、社会人としての一般的なスキルも身に付けながら、これまで知らなかった知識を蓄え、毎日新しいことの連続です。
2つ目はピアノの演奏活動です。
現在、国立音大の社会人向けに開講されているディプロマコースに通い、仕事が休みの日にレッスンを受けています。
新卒1年目の時には、仙台フィルハーモニーと共演できるオーディションを受け、モーツァルトの協奏曲を演奏したり、東京と仙台でソロリサイタルを開催するなど、様々な演奏会への出演機会を頂けるようになりました。
社会に出たことで、これまでピアノ演奏を聴いたことがない方にも足を運んで頂けるようになり、演奏ができることが、自分のモチベーションにもなっています。
仕事で繋がった方が演奏を聴きに来てくださったり、どこでどう繋がるか分かりませんね。
仕事から帰ってきてからの時間で毎日練習しています。
3つ目は若手音楽家の支援活動です。
特定非営利活動法人ARTs Console(アーツコンソール)という、演奏会企画等を行なっている法人で代表を務めています。
才能がありながらもお金を理由に音楽から遠ざかってしまう人たちや、
意欲的に取り組む若手音楽家に活動の場所を作ってあげられないかと、大学院1年の時から友人たちと行っていた活動から始まりました。
現在、市区町村やホール関係者等、この活動に共感してくださる方達に支えられ、これまで20ほどの演奏会を開催してきました。
今年はウクライナから避難してきた方の演奏企画や、ホールとの協業で演奏者の土壌を作るプログラムなど、様々な領域に挑戦しようとしています。
責任もありますが、本当にやりたいことしかやらないと決めて、メンバーと協力しながらわくわく心が動くものだけに取り組んでいます。
4つ目は音大生の進路支援活動です。
音大生のためのWEBマガジンrooootの編集長として、音大を卒業したのち様々な分野で活躍している方を取材し、記事にして紹介しています。
大学を卒業してからのキャリアについて、音大の中で学んだり考える授業や機会がないことを当時から疑問に思っていました。
様々な働き方や生き方があることを知るきっかけの場所にしてほしいとの思いで運営を行っています。
現在は音大生のインターン生に加わってもらい、一緒に活動を作りながらインターン生自身のキャリア観を考えるきっかけにもしてもらっています。
先日は北海道新聞社からの取材を受け、改めて音大卒業後のキャリア教育に関して、
視点が向き始めていることを実感しました。
-若手の演奏活動支援や進路支援など、後輩のために尽力しようと思うようになったきっかけはありますか?
一番は、演奏活動や将来を考える際に自分が苦労した経験が大きく関係していますね。
音楽を極めたいとの思いで大学の門をくぐったものの、学年があがるにつれて社会との繋がりを考えるようになりました。つまり専門性だけではなく社会性という新たな視点が加わったということですよね。
でも、社会に意識を向ければ向けるほど、音楽の専門性が社会と結びつく術を持たないような気がしてなりませんでした。
なので、音大生に社会性を見出すという観点で、支援を始めたいと考えたんです。
結果的に演奏活動を行っていく基盤となる場を作れることを目指して、演奏会を企画したり、音大生の進路支援活動を行っています。
-社会人になって、学生時代にやっておくべきこと、必要なスキルは何ですか?
自己分析をすること
本気で何かに熱中した経験を持つこと
この2つかなと個人的には思います。
社会人としてのスキルは、社会に出た時に学べばいいですよ。
それよりも大事なのは、自分は何が好きで何が嫌いかを知ること、
どういうことにわくわくを感じるのか言語化しておくこと、
自分を見つめる時間を作るのはとても大事だと思います。
私もコロナ禍で時間ができた時に自己分析をしたことが、今の大切な軸になっています。
「7つの習慣」という著書は私のバイブルですね。
そして、本気で何かに熱中した経験を持つこと。
何か苦しいことや悩んだことがあった時、
本気で取り組めた経験は必ず自分の味方になってくれると思います。
音大時代に熱中した経験は、後になって強みになると気づくはずです。
-仕事と演奏活動の両立ができるには、どのような考え方や実践の仕方が大切ですか?
両立には『環境』がとても大事だと思います。
残業のない職場や働き方など、ワークライフバランスの保てる環境を整えることが大前提です。でないと、気持ちがあっても体力的に続かなくなって、自分を追い込んでしまうと思います。
まずはその環境を整えて、その環境を与えてくれるメンバーの方に感謝を伝えること。
そして仕事をしている時は練習を考えない、練習をしている時は仕事を考えない、
と切り替えることが大事だと思います。
私は4つの仕事をする中で、
「練習!」「仕事!」みたいに声に出して切り替えしています(笑)
スケジュール帳も4等分にして、頭で考える前にノートに書いて頭を混乱させないように工夫しています(笑)
そして、仕事においてはメンバーを頼る!
自分一人でできることは限られていると常に心に留めながら、
メンバーと共に作ることを意識しています。
-音大生へアドバイスをお願いします。
やりたい、やってみたい、気になると思ったことは率先して取り組んでみたらいい!!
自分が刺激的だと思うことに触れれば触れるほど、人生が豊かになると思います。
そしてこれから大学で出会う仲間を大事にしてほしいです。
最後に
-編集者からみた中村さんの注目ポイント!
演奏家として大変ご活躍をされていながらも、多数のキャリアを並行して行い、社会との繋がりを大切にされている中村さん。そんな中村さんの経緯から、編集者が感じた注目ポイントをまとめてみました。
注目ポイント!
・専門性を高めるために、音楽を深く学ぶこと
・社会との繋がりを考え、音楽だけではないビジネススキルを身に付けるという独自の路線
1つ目は、音楽に専門性を見出し、演奏家としてご活躍されている点です。
音楽への熱量はすさまじいものを感じます。
演奏技術だけではなく、作曲家への理解や現地を訪れ、そこで感じた生の体験を大切する姿勢は、間違いなく演奏に影響を与えます。
2つ目は、社会とのつながりを考え、自分がどのように社会と関わるかを考えられている点です。誰しも好きなものや熱中できるものの1つや2つはあるのではないでしょうか。それらは、私たちの生活を豊かなものへと変えてくれるはずです。
しかしながら、それらが社会のためになるのかと言われると必ずしもそうではありません。
中村さんの素晴らしい点は、自分が熱中できることと社会が必要としていることをリンクさせられているところです。専門性を見出すことができた音楽と、音大生の支援活動という社会が必要としていること、これらを上手くつなぎ合わせることで、社会性という新たな風を呼び込みました。
これら2つのポイントが、まさに中村さんのパラレルキャリアの原点であると思います。
そして、まぎれもなくこの根底にあるのは、ワクワク感や自分の熱量です。
中村さんがこれだけエネルギーを必要とする活動を行っている背景には、これが好きだというモチベーションが大きくかかわっていると考えられます。
しかし気持ちだけでは何も成せません。
中村さんが実際に活躍できたのは、行動力(=中村さんの強み?)あってこそではないでしょうか。
これらを踏まえると、
・ワクワク感や熱量を注げるものをまずは見つけること(専門性の獲得)
・それらがどのようにして社会と結びつき、自分に何ができるのかを考えること(社会性の獲得)
・それを行動に起こすこと、やってみること
これらの大切さを中村さんの経験やエピソードの中から見つけ出すことができるのではないでしょうか。
-これからの目標はありますか?
この数年で広げたものを次は深く掘っていくのがこれからの目標ですね。
今、役職を持ちたくないという若手も増えていると聞きます。
人それぞれ価値観は違うと思いますが、
私自身は次のステップとして、仕事で役職を持ちながら、自分のプライベートや演奏活動をどう充実させられるかに挑戦したいと思っています。
そしてこれまでは「音大卒のキャリア」を考えるきっかけの一つとしてこのrooootを行ってきましたが、これからは音大生に限らず、新しい時代に必要なキャリアを考えるきっかけとして、このrooootが多くのみなさまの役に立てれば嬉しいです。
勉強に終わりはない!